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2012年 01月 28日
助成財団の文化継承が困難な理由の一つは、成果測定の客観的な基準が設けにくいという点にもある。有能な、あるいは無能な後継者が前任者の業績全否定から始めたとしても、そのパフォーマンスを測定して前任者と比較することさえ出来れば、そんな無理や無茶が通る訳はない。しかし、「めきき」の質がどれほどのものか、を測定する客観的なモノサシは、残念ながら存在しない。結果、さまざまな凡庸さが趣向を競う様なことになるケースが間々見られるのは周知の通りだ。これは本質的に民間非営利組織の答責性(accountability)という問題に連なるのだが、ここでは論点をそこまで拡大はしない。
助成財団の真骨頂は、どんな問題意識を持っているかではなく、その問題意識をどう具体的なプログラムに投影するかの一点にかかる。世に問題だと言われるほどのものならば重要でない等ということは考えにくいのだから、取り組んでいる問題意識が大事だからといって、取り組みかたを正当化したことにならないのは自明である。核軍縮が重要だからといって、一民間財団がそれに取り組むことの合理性、あるいは必然性を保証しないのと同じように、日米関係が、人口問題が、あるいは世界各地域との対話が重要であるからといって、それが財団の取り組みを正当化する十分条件だと考えるのは単なる初歩的な過ちに過ぎない。林先生はこのあたりも慧眼に見抜いておられた。「十人のうち、九人が賛成する様なプログラムであれば、まず疑ってかかった方が良い」「知的怠惰ほど居心地の良い環境はない、と思うようになっていないか」「無失点主義は知的な自殺だ」ご自身がお役人の出身でありながら、(あるいはそれ故に一層、なのかもしれないが)無失点主義、減点主義を鋭く批判されていた先生の馨喙こそ、今の日本がもっとも必要としているものかもしれない。 林先生はまた、わずかの差異に拘う講座制アカデミズムに批判的であったこともよく知られている。「学者はどうでもよいささやかな違いにこだわって大局を見失っている」とは先生の言葉であり、未来学会の創設というのは先生流のそうしたアカデミズムへのアンチテーゼの表現と解することもできよう。その意味では先生は精緻な理論構築よりは現実の社会機能を重視された。余談にわたるが、先生の高弟たちがいづれも優れた実践家(practitioner)ではあるが必ずしも優れた理論家ではない、というのも単なる偶然ではないのかもしれない。 「偲ぶ会」の発起人のリストを拝見していると、改めて文化の継承というのは決して簡単ではないことに思い到る。些事にはこだわらない先生のことだから気にもされていないだろうが、いかにも異質の観のある名前が併存しているあたり、多元的価値観の共存をモットーにされていた先生は、死して尚機能されていると思わないでもない。安らかにお休み下さい。合掌。 2012年 01月 27日
名論卓説もさることながら、林先生は優れた行動者・実践家であったという側面も大事だと思う。助成財団の専務理事として、先生はプログラム・オフィサーという職位を定着させ、日本における草分けともいうべき人々を教育された。余り知られていないことなので紹介しておきたいが、助成財団というのはある分野、あるテーマを選択した上で、その領域でプロジェクトを実行してゆきたい人々や組織に対して資金を提供するのが仕事だ。いわばお助けマン、金主になるのが仕事だという組織だ。ある目的を掲げた場合に、それを実現する数多くの手法のうちから何を選択するか、どのように実現するか、それを取捨選択し、判断するのにはしっかりした「めきき」が必要だ。
博物館や図書館で学芸員とか司書といわれている人々と機能は同じで、こうした「その道のプロ」はプログラム・オフィサーと呼ばれることが多い。経営者・指導者の理念やプログラム・スタッフの質が財団の仕事の質を決定することは見易いだろう。この辺りが少しずれると、例えばドイツの高名な財閥が設立した欧州一の資金規模を誇る財団のように、「超一流の二級品を集める天才」と揶揄されるようなことになる。トヨタ財団で林先生が手塩にかけられたプログラム・オフィサー一期生たちは山岡義典氏に代表されるように、その後の日本市民社会において押しも押されもしない活動家に育っていったのは周知の通りである。とかく制服を着て社歌を歌わせたくなりがちな日本の企業財団にあって、断然それと一線を画した豊田英二氏の卓見と相まって、林雄二郎という伯楽を機能させたトヨタ財団のあり方は、一つのモデルとして、その開発した東南アジア関連の研究プログラムや「隣人を良く知ろう」プログラムと共に、今や伝説的な存在である。英二氏と林氏なき後のトヨタ財団は善かれ悪しかれ全く別の組織になったといっても良いだろう。 企業財団のみならず、財団における文化継承に当たっては様々な困難に遭遇する。マネジメントについて言えば、オーナー若しくはそれに準じた存在がいて、それが最近プロ野球で話題になっているGM(General Manager)を選任する。言うまでもないことながらGMはオペレーションについては人選から予算執行に至るまで全権を持つ、というのが理念型だ。現実にはすべてをGMに委せっぱなしにするほどの太っ腹なオーナーはなかなかいないし、他方財団のGMというのは定年退職後の「無事事なかれ」の様な人が選ばれたりするのが多かったりするから、いろいろな変種が出現する。仮に理想的な組み合わせが成立したとして(豊田英二氏と林先生の組合わせはその希有の例)どちらかが代わったりすると、成立した文化が後代に継承されるのは極めて困難だ。それは一つにはこうした文化が個人的要素によって支えられている例が多いことにもよるが、また反面、後継者が有能であればあるほど(無能ならば尚のこと)前任者の痕跡を全否定したくなる、という人間の性にもよるところがある。英二氏という希有の経営者あればこそ「偉大な田舎者」トヨタがあんな洗練された財団を持つことが出来たのだが、彼が去ってみれば、凡百の企業財団になることも無理からぬことではあった。(この項続く。) 2012年 01月 26日
林雄二郎先生を偲ぶ会に出席した。生前の先生からはいろいろとご教示頂いたことが多かっただけに、簡素な「偲ぶ会」はいかにも先生らしい集まりであった、と改めて思ったことだった。と、偉そうに前書きめいたことを書いたが、先生の学者としての業績とか、自然科学者としての卓見については、筆者は全く語る資格を持たない。1974年、先生が先の豊田英二氏に請われてトヨタ財団の専務理事を引き受けられてから、より正確に言えば、筆者が民間非営利組織と関わりを持つようになった1983年以降に先生のご薫陶を受ける幸に恵まれた。従って、多面的な先生のご活躍のうち、筆者が垣間みることが出来たのは、民間非営利組織、特に助成財団という組織のありようを通じてのものに留まる。それのみを通じて先生を語ることは、あるいは葦の髄からなんとやらの誹りを免れないかもしれないが、温厚な先生は破顔一笑、お許し頂けることと信じている。
先生の所説が新鮮に聴こえたのは主に二つの理由による。一つは、当時の民間非営利組織として代表的な存在である公益法人が、永年に亘る「公益国家独占主義」とも言うべき体制の下にあって、とかく胡散臭く怪しげな存在、放っておくとどんな悪いことでもしかねない存在、従って眼ひき袖ひき、箸の上げ下ろしまで厳重な監督の下におくべきだ、という風潮の中で、「GDPの数パーセント程度の民間非営利組織の存在というのは、いわば自動車のハンドルの「あそび」のような存在であって、これがあったほうが世の中はスムースに動く。こうるさいことを言って縛り上げるよりも、そのほうがよほど世のため人のためだ」といって憚らない歯切れの良さにあった。特に、税制上の優遇措置が与えられている公益法人というのは、いわば公金を遣う立場なのだから、指導監督は厳重に行われるべきだ、という倒錯した議論が堂々と通用しているご時世では、我が意を得たり、の議論に聴こえたものだ。 そして第二には、「官」との関わりについての議論である。「だから市民社会、民間非営利組織は失敗をおそれない。それが政府の取り組みとの最大の違いだろう。その結果うまくいったものについては、比較にならないほどの予算規模で「官」が引き継いで実行に移す。こうした分業がうまくいってこそ始めて社会は活性化される」という。米国出自の思想的背景の濃厚な財団界において指導的な考え方というのは、官でもなく、市場でもない、独立して(independent)二者に対峙するセクター、というものであった。他方、官の無用な干渉にアレルギーの強い論客の間でも、官と「一線を画した」第三のセクター、という考え方は魅力的で、現に、資金的に余りに多くのものを官に依存していては民間非営利組織の独自性は喪われる、という原理主義的な論客は今日ただいまでも随所に散見されるところだ。 先生の所論は現在でもその魅力を失わないのはご承知の通りなのだから、30年前に所説を開陳されたパイオニアぶりというのは、いくら強調しても強調しすぎることはないといってよい。(この項続く。) 2012年 01月 19日
警察と刑務所が少し規律の上で問題がある、というのが話題になっていたが、ことは行政や立法だけではなく、司法についても少しおかしいのではないか、という判決が最高裁小法廷で出た。お馴染みの日の丸・君が代反対という日教組肝いりの先生たちの話だ。停職や減給等の「厳罰」については、相当の配慮が必要だという趣旨で、重きに過ぎる何人かについて処分取り消し、という判決だから一見もっとも至極のように聴こえる。のみならず三権分立の建前からして、行政罰が安易に拡大・加重されるのは好ましくない、という言い分もそれなりに納得させるものはある。しかし、問題はそれ以前のところにありはしないか。
日の丸・君が代は法律で国歌・国旗と定められている。(それがどうした。悪法は法ではない、という議論には触れない。悪法かどうかを個人が決めて良い、ということになれば、その反動もあることを指摘するに留める。)そして国歌・国旗に対して応分の敬意をもって接する、というのは世界の常識だ。教育現場は言うに及ばず、およそ公共の場所においてそれに背いた行動をとれば、現在の政治体制、あるいは国家そのものに対する抗議あるいは敵意の表明と受け取られるのもこれまた常識に属する。その抗議の意思表明が思想信条に基づくもの(日の丸・君が代が軍国主義の象徴だと思い込む。これが思想信条だと仮定しての話だが。)だから配慮を加える必要がある、というのが最高裁の意見のようだ。思想信条に基づかない抗議等というものが存在するかどうか詳らかにしないが、おっしゃりたいのは単に交通規則に抵触した、怠惰で職務をさぼった、というのとは違う、ということでもあろうか。 法益の比較較量で言うならば、児童の眼の前で国歌・国旗に敬意等払わなくて良い、自ら正しいと思えば法律などは破っても良い、という実例を見せることの害よりも、教員個々人が政治的信条に忠実であることを保護する法益の方が大きいということになろうか。今回の原告団の行動がどれほど日教組の活動であるのかないのかについては明らかでないから論及しない。経済的不利益に対して日教組が直接補償、あるいは義援活動などによって救済するかどうかも不明だ。しかし、原告は二年に三回しか処分歴がなかろうが、一回に留まっていようが、自らの行動について確信犯と言える信念(信条?)をお持ちの方々であるのはほぼ疑いのないところだ。であるとすれば、処分が重きに過ぎる、というのはタテマエの議論であって、心は教育委員会の処分そのものに対する異議申し立てである、と理解すべきだろう。 浮世離れして教育現場をご存じない裁判官のご判断かと思いきや、娑婆の様子を良くご存知の筈の弁護士、お役人出身の判事の方がより強硬なご意見をお持ちなのにも驚いた。行政罰がやたら加重の方向に一人歩きするのは好ましいことではない。しかし、公務員の遵法精神が真正面から否定されるのももっと好ましくない事態ではなかろうか。 2012年 01月 16日
ミャンマー軍事政権の「雪解け」傾向が、当初多くの人が懐疑的であったのに背いて、着実に望ましい方向に向かっているのは喜ばしい。特に今回の政治犯大量釈放は長く望まれていただけに、ひときわ政権側の真摯さを示す良きバロメーターになったと思う。釈放者の中にかつての開明派将軍として期待の星であったキン・ニュン氏の名前が含まれているのは、真意がどこにあるのか、最近のミャンマー情勢をフォローしていないので不明だが、良いニュースには違いない。
頑迷固陋ともいうべきタン・シュエ将軍の率いる軍事政権(SPDC)の下にあって、キン・ニュン首相の舵取りだけが唯一絶望的な孤立政策をとるミャンマーに明るい将来を期待させるよすがだったことに異論は少ないだろう。その彼が2004年に突然逮捕監禁され、彼の一派もことごとく投獄されたと聞いた時、これで希望はなくなった、と感じたのは筆者だけではなかったと思う。政権側が硬直的であれば、民主勢力(NLD)の象徴スー・チーさんも原理原則(諸悪の根源は軍事政権)に立ち返らざるを得ない。わづか一度の面会の印象だけで断定的なことを言うのは差し控えたいが、当時筆者の眼に映ったスー・チーさんは、圧政に敢然と立ち向かう英雄ジャンヌ・ダルクというより、民主化への期待と軍政の重圧に健気に耐える聡明な女性、という印象に近かった。 彼女は民主化勢力の国際的スポークス・パーソンとして全ての質問に答えざるを得ない立場にあった。拡大する中国の影響力、低下する自国通貨購買力、経済制裁の評価、少数民族問題、民主化の将来、等々。いかに彼女が聡明であっても、それら全てに懇篤な回答をすること等できる相談ではない。ブレーンに恵まれた日本の首相の言動でさえどうであるか、を想起して頂くだけで明らかだろう。先にも述べたように原理原則に立ち返る以外回答の統一性(integrity)は保てない。軍事政権は悪だ、軍事政権ある限りビルマに安定はない。軍事政権延命に有用と思われる外国の援助(ODAを含む)はやめるべきだ、etcというのはこのコンテキストで理解すると意味するところが明らかだ。 ティン・セイン政権に代わってから、明らかに軍事政権側のスタンスに変化が見られるようになった。政権側の cosmetic work に過ぎないとか、経済援助欲しさのジェスチュアだ、とか皮肉な見方をする人々の意見にも関わらず、ミャンマーの現状が大きく変化しつつあることは衆目の一致するところだろう。中国とのエネルギー協力破棄にしても、もともと大の中国嫌いの国民性が経済制裁解除の期待と共に本家帰りしただけのことだし、スー・チーさんの「軟化」だって彼女の切望していたタイミングが到頭訪れたに過ぎないと見ることも可能だろう。1990年のビルマ総選挙以来20余年が経過した。歴史のサイクルというのはやはりそれほどの時間を要するものかもしれない。民主党政権が誕生して2年余り。後18年は待てない様な気もするが。
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