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2008年 03月 16日
決められたことを決まった通りに実行するのが美徳、あるいは唯一の仕事の仕方だ、ということになれば、結論は一つしかない。
改良工夫をしても、褒められるどころか余計なことをした、いらざることをした、ということになるのは必定。(その上に、そのための手続きの煩雑さたるや常規を逸するとなればなおさら)そんなことをする理由もなければ動機もない。決められた予算をただそのままに実行すればよいし、消化すれば良いということになる。従って、馬鹿げていると思っても、使い切りこそが美徳になる。 仮に一生懸命使っても使い残りが出たら、なんとか出なかったことにする、という話になる。(その額がピッタリにならなければ切手を買ってつじつまを合わせる、なんていうのは官庁予算を使ったことのある人には常識である。)節約してマイナスの評価を受けるとすれば、もうこれは何が何でも剰余金など出なかったことにする。その帰結について詳論は不要だろう。 予算主義の忠実な実行者がタマネギを剥く猿ならば、その猿がどんなコンテクストで皮を剥いているか、という話だ。大自然の中でそれをやっているのなら無害かもしれない。いづれは風に吹かれ、土に還り、自然の輪廻のうちだ。しかしこの猿が動物園の中にいるのなら、檻はタマネギだらけになる。要するに、多少バカなことをしても永い目で見れば余り問題にならないこともあれば、いささかならず問題とされるべきこともある。もっと具体的に言えば、予算主義の弊害が看過できないようなところにまでお役所仕事が及び始めた。あるいは拡大してきた、という客観情勢が存在する。それがどんな場面であるかについては次回。
by akirairiyama
| 2008-03-16 22:17
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