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2008年 05月 09日
久しぶりに「評価」の続編。
評価の効用、あるいは望ましさについてはよく解る。しかし、公平かつ透明しかも客観的な評価などというものが本当にできるのだろうか、一体誰がするのだろう、というのが一番大きな疑問ではなかろうか。 事実、「自己評価」といわれる組織自身で行うそれ、あるいは「学識経験者」に依頼して行うもの、の中にいかにいい加減なものが多いかを知っていれば、知っているだけシニカルになる、というのも現実だ。前回に触れた、予めの意図と先入観を持った異端審問、魔女裁判の道具として「評価」を使うのと同じように、プロジェクトや組織の無罪証明、あるいは提灯持ちとしてこの道具を使う向きも決して稀ではない。海外プロジェクトの評価を専門家に委嘱。一週間の海外出張に出かける前に評価報告書が出来上がっていて、専門家ご一行は優雅にゴルフ三昧、なんていうのも防衛省の某次官ではないが、良くあった話だ。 しかし、暴力団関係者が企業舎弟として株式会社制度を使うからといって会社法そのものが悪だ、という人がいないのと同じように、制度が悪用されたり誤用されたからといって制度そのものに悲観的になる必要はない。問題なのはプロセスの公開と透明性の問題で、それをいかに確保するか、実際的な知恵を出すことによってクリヤーできる話だ。むしろそれより問題の根が深いのは、評価結果を明日からの組織運営、プロジェクト施行にどう反映するか、あるいは反映させているかどうかのチェックの方だ。決められているからやることはやりましょう、という気のない対応から、評価実施は法律上の義務だが、その結果の履行義務規定、さらには罰則はないよ、とうそぶいたりする態度まで、こうなったらほとんど評価の持つ意味はゼロどころかマイナスになろうというものだ。 どんな良い制度でも手入れを怠っていればたちまちおかしくなる。不断の監視とチェックを納税者が行わなければ、道路特会に、社会保険に、そして日本の農業に何が起こったか。生きた実例に事欠かない。官僚機構のみならず、社会制度というのはコンピューターと違って、スイッチさえ入れたら後は忠実に同じことを繰り返してくれる、という訳にはゆかない。その効用が一旦は実証された仕組みであってもなおその危険はある。まして効用が実証されないままにわれわれが希望を託する評価という仕掛けは危険がいっぱいだ。しかし、官僚制度の硬直性や予算制度の不毛さを全否定するのではなく、「いいとこどり」をするためにはこれしかない、という希望の灯であってみれば、大事に育てたいものだ。(この項続く)
by akirairiyama
| 2008-05-09 00:52
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