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2008年 08月 08日
CELA(2)である。このユニークなプログラムの成り立ちの概要を説明する。
プログラムの中味と特徴 10日余りの研修プログラムそれ自体は、ハーバート流のケース・メソッド、ロールプレイ、さらにはやや旧いが血液型ならぬマイヤース・ブリッグスによる性格分類などなど。分科会・プレナリーの組み合わせ、というお定まりのコースだが、二つほど極めて特徴的なことがある。 一つは徹底したチームワーク重視。要するに参加した40名強のメンバーが相互に知り合い、仲良くなることを中心にプログラムが組まれている。注意深く同国人だけが集まらないように配慮しつつ、さらに紛争当事国の組み合わせに気を使う(アルメニア・アゼルバイジャンは言うまでもないが、それ以外にも幾つかのビミョーな関係がある。)。入学式のときにお隣同士にそれぞれ相手の自己紹介をさせる、といった定番から始まって、食事のテーブル、あるいはエクスカーション(小旅行)でも、ファシリテーター(調整役)と呼ばれる十数名の米国人ボランティアとその夫人(正確に言うと配偶者。ファシリテーターには女性もいる。配偶者の仕事は参加者の自伝を聞き取ってまとめあげ、解散時に印刷物にして配布すること。だからお世話役はあわせて二十数名になる。)が参加者相互が溶け合えるような様々な工夫に積極的に機能する。これが「人なつっこい」ご当地の国民性と相まって、参加二晩目からはもう夜中まで大騒ぎになる。(この研修は250ヘクタールに及ぶコッチ大学の敷地で、夏休みを利用してその施設とゲストハウスで行われる。酷暑のイスタンブールからかなり離れた高地にあるこのキャンパスは涼しい別天地。大学のこととて、バー以外は禁酒なのだが、それでも。) 二つ目はボランティアの米国人が、ほぼ全員引退した裕福な実業家で。彼らは単にこのプログラムを資金的にサポートするだけでなく、手作りの研修プログラムに自ら講師役を務めるという趣向である。自分たちがかつて参加したことのある各種研修プログラムの中で最も効果があったと思われるものを、合議の上で編集作成し、それぞれが役割を決めて実行までするというのだから、そのエネルギーたるや凄い。ほとんどが南部諸州(ジョージア・テキサス・サウスカロライナ)の実業家で、この2週間は南部訛りの柔らかい英語にどっぷり浸ることになった。考えてみれば、大阪商工会議所の現役引退した社長さんたちが、数十人集まって、シャッター商店街や、母子家庭のお母さん起業に向けての泊まり込み研修、あるいは引きこもり、登校拒否の子供たち向けの社会復帰プログラムを、手弁当のみならず資金負担までして手作りでやろう、という話である。米国の市場原理主義に批判は多いが、反面でこうした実業人が、数少ない風変わりな物好きとしてではなく、ごくごく一般的に存在しているという凄さはもっと知られてよい。 だから、このプログラムは研修内容それ自体の質というよりは、参加者の質の高さと、その相互コミュニケーションの深度化への工夫に真骨頂があるというべきだろう。例えばエクスカーションはある日ボスフォラス海峡に面した海岸に行くのだが、6人一組のグループ(再び同じ国の人はいない。)にチーム編成した上で、与えられた材料(ビニールシートとプラスチックパイプとコネクタ、それにポリタンクとナイロン縄)でボートを作り、海岸の砂をつめたコンテナを積んで沖のブイまで往復し、より多くの砂をより短時間に運搬したチームが勝ち。さらに擬似貨幣を各チームにあたえ、不足資材を別にしつらえた競り市で競り落とさせる、という趣向である。バカバカしい、といって斜に構えてしまえばそれっきりの話だが、参加者の真剣なこと。(一寸話が込み入ってくるとロシア語になる。冷戦構造はまだ消え去っていない。)ファシリテーターの真面目なこと。20代から40代の日本の若者に同じ場を与えて反応を見てみたい、と思ったことだった。 なぜコミュニケーションとチーム作りにそれほど意味があるかと言えば、ことはプログラム終了後のアフターケヤーに関る。参加者たちは卒業後もメールで頻繁に連絡を取り合っている(相当に独裁色の濃い国でも、これだけは検閲されることこそあれ、規制されてはいない。)のみならず、数年に一度、同窓会が開催される。20代後半から40代前半の彼らがこうして再会するのは、単にノミニュケーションの機会が出来たり、「やあやあ」と旧交を温めるというだけのことではない。地域一帯の指導者予備軍が数百人ネットワークとして組織され、機能しているのだ。将来的にはこれを軸にして、コミュニティ財団のようなものを組織する計画もあると聞いた。そのポテンシャルは、中欧のビロード革命をもしのぐのではないか、というのが実感である。(この項続く)
by akirairiyama
| 2008-08-08 01:18
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