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2009年 03月 08日
韓国企業の主催する囲碁BCカード杯世界選手権は、優勝賞金3億ウォン(約2千万円)だが、ベスト64に残るまでは自腹で参加、というのが話題を呼んでいる。ベスト64に残れば一回戦敗退でも3百万ウォン(約20万円)出るが、それまではゼロ。これまで棋戦参加だけで対局料を受け取っていた(プロの)日本棋士にはショックだという。(日経夕刊8面「芸文余話」)このところ世界選手権(といっても実質的には韓・中・日だが)でさっぱり分の悪い日本にとって今ひとつハードルが高くなったということでもある。
優勝劣敗むき出しの新自由主義経済理論(それが正鵠を得ているかどうかはしばらく措いて)なるものには批判が多い。経済学者がお身内で議論しているだけならばほとんど誰も影響を受けないからよいとして、一般のメディアやヒョーロン家をまきこむ話になると、結構一国の政策に影響を与えかねないから恐ろしいものがある。例えば(もはやご記憶にないかもしれないが)かつてベストセラーになった数学者藤原正彦氏の「国家の品格」はその典型的な一例である。数学者らしからぬ粗雑な論理展開はともかくとして(論理そのものをネガティブにとらえる本書がそれを地でいったとすれば素晴らしいウィットだが)、論理展開には必ず前提があり、それが誤っていれば論理が精緻であればあるほど虚しい議論になる、というのは筆者も全く同感である。 別に牽強付会の説をなすつもりはないが、参加者が何人いるかはともかくとして、ベスト64に残れないほど(甲子園ではないが、これから6連勝してやっと優勝だ)のものならば、ここはあっさり新自由主義経済で行く方が爽快ではないか。勝敗がはっきりするほどのものはよいとして(それでも体操競技やスケートのように「うーん」という要素がないではない。)、そのレフェリーがいない場合こそが問題になる。だから「めきき」(3.4「寄付」)が必要になる。ところが厄介なことに定義的に「めきき」の客観的判断基準は存在しない。だから、そこから先は皮肉にいえば「神信心」の世界になる。これを「良識」と置き換えてみても、英米流の判例の積み重ねに頼ると定義してみても、今すぐの役に立たないことに変わりはない。即効性が必ずしも世のためになるとは思わないが、失敗をおそれず様々な試みに挑戦するのが市民社会組織の強みであるとすれば、新自由主義経済もまんざら棄てたものでもない。
by akirairiyama
| 2009-03-08 02:04
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