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2009年 04月 28日
意思決定の過程でさまざまな要素を勘案する。右に行くか、左か。どちらについても賛否両論の根拠や影響を仔細に検討する。これはおよそ指導者、経営者たるものにとって当然の振る舞いだ。そんなことはしないで信念に基づいて「決め打ち」をしたのが結果オーライ、というケースだってないではない。しかしそれが継続して成功する確率は決して高くはないことは誰でも知っている。今風にいえば、そういうやり方に持続可能性(susutainability)はない。もちろん意思決定は時間の関数だから、いつまでもああでもなかろうか、こうしたらどうしよう、という優柔不断が許されないことも反面の事実だから、要はそのあたりのかねあいと、過去の知識の蓄積もものをいう、というのは当節並みの知性を持っているほどの人間ならば誰もが知ることだと言っても良い。別の角度から見れば、瞬時にして、とはいわないまでも、ごくごく限られた時間の中で意思決定を行わねばならないほどの人々にとっては、常住坐臥自分の判断力を磨いておくためのトレーニングが必要になる。その限りにおいては、スポーツ選手と軌を一にする。
なぜこんな解りきったことをくどくどと書いているかというと、この思考過程、意思決定過程の中では、アリバイ作りというのは二次的・三次的な重要度しか持たない、あるいは持ってはいけない、ということを言いたいからだ。もちろん、ことがうまくゆかなかった時に弁解が必要になることもあろう、しかし、それが判断に当たってのプライオリティであってはまずい、というのはほとんど自明だろう。ピンチヒッターに立った打者がノースリーの後の球に手を出すかどうかを、うまくゆかなかった時の弁解を念頭に置きながら決めるのなら、そんな選手はクビにした方が良い。 突然話が飛躍することをお許しいただくならば、それが政治家と官僚の最も大きな違いなのだ。官僚というのは、常にアリバイ作りが念頭にある。ある政策判断がうまくゆかなかった時に気の利いた弁解の一つや二つを思いつかないようでは、とても有能な官僚と申す訳にはまいらない。先にも書いた(4.10「補正予算」)が、政治家が一旦腹を極めてある政策選択肢を選んだなら、妙に弁解がましいコメントをくっつけて、後に「そうではない事態にも備えてあったのです」と申し開きをする証拠を残しておこう、などという未練がましい保身策はとるべきではない。 積極財政か財政再建か。朝三暮四ではあるまいし、先にバラまいて後には増税が待っていますよ、というアリバイ作りは政治家の取るべき言動ではあるまい。仮にどれほどおつきの官僚が入れ知恵したにしても、である。与謝野大臣の再三にわたる「変節」の動機が後日のアリバイ作りであったとしたら、先に四つの栃の実を貰って喜ぶだろうと甘く見られた有権者は怒るべきだ。それとも、頑迷固陋な周りの人々をなんとか納得させるための苦しい方便だと見抜いて、さすがは思慮深い大臣だ、首相の懐刀だ、と感服すべきなのだろうか。
by akirairiyama
| 2009-04-28 14:07
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