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2009年 07月 01日
カウフマンの「存在の耐えられない軽さ」。ジュリエット・ピノシェの妖しい美しさ。などと言っても、今を去る10年余の話であってみれば、そんな映画のことを記憶している読者も数多くないかもしれない。もっとも「プラハの春」を歴史的事実として記憶している世代はまだ健在の筈だから、クンデラの名前とともに活字としてお読みになった方もいらっしゃるだろう。
と、何も懐かしの名画や名作について書きたかった訳ではなく、麻生総理の一挙手一投足をTVで拝見する度ごとに、このタイトルが思い出されてならない、というのが主題だ。良いお家の御曹司として夜の巷に出没されていれば、趣味の良さや軽妙な身のこなしで、ちょっと不良っぽい素敵なお金持ちのオジサマとして、群れよるお取り巻きに不自由されなかっただろうに、なまじ首相などにおなりになったのがご不運だった。一国の指導者をつかまえてこの言い草が不遜なのは認める。どこぞの国でこんなことをブログに書こうものなら、たちまち鉄格子の向こうにいただろうから、良い国に生まれた幸せを噛みしめないではない。 それにしても、危機を通り越して沈没寸前のこの国にあって、やれ党人事がどうだ、求心力がこうだ、という話題にうつつを抜かすというのはどうしたことだろう。その尻馬に乗って、やれ解散が8月だ、都知事選前だ、ましてや人気の知事入閣か(ちなみにこういうのを沙汰の限り、という)、みたいな推測記事で提灯を持っているマスコミもマスコミだが、警世の一言のありそうな大勲位も塩爺もさっぱりだんまりなのは呆れかえってのことだろうか。 起死回生の妙手などというものは存在しないが、せめて税金の無駄遣いがどうすればどれくらいなくなるのか。そのためにどこまで地方分権にゆだねることが出来るのか。中央官庁に比して必ずしも質が高いと言い切れない地方官僚が、地方版のお役所仕事で悪夢の再生産をするのにどうやって歯止めをかけるのか。プライマリー・バランスをいつ、どうやって回復するのか。といった基本中の基本についての政策見通しを早急に提示してほしいものだ。いくつかのシナリオがあるだろう。それをじっくりと取材した硬派の記事をマスコミには追いかけてほしい。活字文化が衰退する、というのは活字で表現するのに最も適した題材を、腰を落として提供しようとするメディアが存在しないところにも大きな一因がある。 耐えられない軽さにうんざりする有権者というのは、官僚主導の地獄への途の甘い誘惑に他ならない。漫画も結構、ファッショナブルな話題も結構。しかし、極め付きの硬派の議論こそが望まれている。そして、機会を逸した言論とは、恨み節と挽歌にしかならない。
by akirairiyama
| 2009-07-01 10:38
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