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2009年 09月 13日
「いまの日本をみると、この国全体が腐敗におおわれているようにさえおもわれる。政界といわず、官界といわず、はたまた財界といわず、いたるところで腐敗の臭いが鼻をつく。これはあきらかに、われわれの日本の社会が、ふかい病疾になやんでいる証拠であろう。この病気はどこからきたのか。ひとによっては、さまざまな面に病気の原因をたずねることもできよう。選挙のやり方とか、議会審議の常任委員会制度とかいう政治・行政の制度がわるいというひともいる。あるいは、直接に国民の道徳的水準とか、道徳的環境とかを問題にするひともいる。」
この文章が、昨日のマスコミに登場した議論であるといっても不思議がる人はいないだろう。ところが、これは1954年、今から50年以上前の岩波書店「思想」という雑誌に喜田村浩京大教授が寄稿したエッセイの冒頭の一節だ。横浜国立大学の山崎教授が、筆者の所属する組織の集まりに提供していただいた抜き刷りの一部である。当時は左翼系硬派雑誌の全盛期で、この喜田村論文の後に掲載されている同じく京大教授の島恭彦論文には「官僚制は(中略)少数の金融独占の方向へ経済力と権力とを集中知る機構になっている。」などという勇ましい議論もある。だから、時世時節で論調が右や左にぶれることはこの際無視するにしても、現体制の問題点を識者が指摘する、いわばピノキオのコオロギの良心の声が少なくともこの半世紀存在し続けた、という事実だけがここで重要視されねばならない、というのが論点だ。 コオロギがさえずり続けているのに、なぜ事態は改善されないのだろう。その主張を思想・言論のレベルから実現・行動のレベルに転換する装置が存在しない、あるいは存在しても極めて不完全だからだ。この装置とはどんなものか、お役所の一部であったりしては、それこそ泥棒が十手捕り縄を持つようなものだというのは見易いだろう。だから、これはどうしても民間のテによるものでなくてはなるまい。そんな装置を駆使してお金儲けをするというのもかなり考えにくい。とすると営利会社というのもあり得ない。とすると、民間の非営利組織。いわゆる市民社会組織の他には考えられない。この活動が不十分だと、正論はいつも正論に留まる。逆に言うとこういった組織を機能不全なままに、あるいは官庁の外郭団体めいたものとして取り込んでおいたほうが権力にとって具合が良いのは理の当然だ。公益法人制度改悪をこのコンテキストで眺めると、誰が誰の為にどんな意図であんな愚劣な法律を成立させたのかが解ろうというものだ。
by akirairiyama
| 2009-09-13 10:11
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