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2010年 12月 08日
総論賛成、各論反対というのは別に珍しい話ではない。世代交代というのもこれで、一般論としては当然の話だし、自然の摂理とも言うべきことだから反対のしようがない。しかし、具体的にこの私のポスト(特にトップになったような時が典型なのだが)について、「いま」それをやりましょう、ということになると物議を醸すケースが多いのはご承知の通りだ。これは世襲でもそうでなくても大差はない。
もちろんミクロにみれば、創意工夫に満ち満ちた指導者が引退して、凡庸きわまりない後継者が登場したり、この人には死ぬまでやっていてほしい、と思わせるケースも少なくはない。だが、それを一体誰が判断するのだ、という辺りで混乱を来す例もまた少なからず存在する。出処進退爽やかで清々しいのもあれば、取締役相談役(これがこのごろでは冗談でなくなっている)が何ダースもいる会社があったりする。秘書とクルマと個室、を手放すのはよほどの未練のようである。 役員定年制というのも、まんざら棄てたものではない、というのはその辺りの事情から生まれた生活の知恵なのだろうが、考えてみれば淋しいことではある。まあ、それでも辞職が認められたり、隠居が許される職はそれでも悩みは少ないと考えることも出来よう。アメリカの最高裁判事には終身職だが、それでも引退の自由はある。これがなかったと想像したら、その空恐ろしさは言語に絶するものがあるのではないか。なまじ当人に責任感が強かったりすると、みるに耐えないような状態が起こりかねまい。 ローマ皇帝のように、終身職であっても虎視眈々と後を狙う者に事欠かなかったり、暗殺もありといった血なまぐさい世界ならばまだしも、そんなことは夢にも起こりようもない世界で、しかも後継者が適性の点でおおいに疑わしいという状況証拠が数多く、ためにどこか遠くの地で暮らす途でも選んでくれないか、と祈る他なかったりしたら前任者たる者人格者であればあるほど救いようのない思いにかられるのではなかろうか。 それに比べれば、なんだかんだ言ってもほどほどのところで世代交代が起こる仕掛けというのは、時に往生際の悪いのがいたり、目を覆いたくなるような後継者がいたりしても、民主主義政体の指導者と同じで、かれこれ考えあわせれば生活の知恵が生んだ仕組みだと言えなくはないかもしれない。
by akirairiyama
| 2010-12-08 16:25
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