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2011年 07月 16日
民主党政権が誕生して以来お馴染みになったとも言える酷評に次ぐ酷評が、いまや極まった感がある。初代の鳩山総理大臣は異常値として論外であるとしよう。次の菅さんがどうしてこれほど評判が悪いのか。自民党政権末期の何人かの総理と比較して、どこがどれほど劣っているのか。このあたりが世論調査なるものの眉唾なところで、菅さんに今すぐ、あるいは出来るだけ早く辞めてほしい、というのが8割だったからといって、質問を変えて、辞めた後は誰が良くて、どうしてその方がマシだと思いますか、と聞けば、せいぜいで「今より悪くなるとは想像し難い」という程度の根拠しかないであろうことはほぼ間違いない。
総理が精々で小隊長の器に過ぎないことは先にも(4.11「将の器」)触れたから繰り返さない。思いついたことを口走り、それがもっとも至極な意味内容ならば、口走っただけで事が半ばなったと思い込む。失敗に学ばないどころかお手軽に謝罪すればリセットが済んだくらいにしか思わない。ダメもとの野党時代、あるいは市民運動家時代の無責任さから脱却しきっていない。などなど、その短所欠点をあげつらえばこのブログ二回や三回は埋められよう、という有様なのは誰しも知るところだ。しかし、たとえそうであっても、この国難の時に、与野党問わずそれ辞めろ、やれ辞めさせろは異常としか言いようがない。 志はどうでも良い。数こそが民主主義の要諦だ。多数を制してさえいれば、政治哲学なんぞどうにでもなる、という信念に基づいた政治家がなお勢力を喪っていない。そんな中にあって、愚かしく、拙劣ではあるが舌足らずの思いの丈を演説したがる政治家は貴重ではないのか。引っ張って下さい、といわんばかりに足を投げ出す方も投げ出す方だが、だからといって、よってたかって足をとって引きずり降ろすのに専念しているのでは、この先誰が総理になっても落ち行く先は見えた、というべきだろう。 諸悪の根源を「ねじれ」に求めた時期もあった。バラマキのマニフェストに対する自己修正能力の欠如を論じる向きもあった。党内派閥の醜い抗争がクローズアップされたこともあった。どれも一面の真理であることに違いはなかろう。だがこの国の政治がこれほどの惨状を呈している真の理由はその何れでもないように思う。政・官・財の癒着、特に民主主義的答責性を全く持ち合わせていない官僚に国の政治のシナリオを丸投げにしてしまったところにこそ原因は求められるべきだろう。その志半ば、どころか緒についたかつかないかのうちに、その動きが圧殺されているところにこそ問題はあるというべきだろう。一連の「菅辞めろ」のコーラスが、誰の筋書きで、誰の演出になっているのか。知ってか知らずでか、片棒を担いでいる向きがこれほど多いのでは、日本の政党政治の先も見えたといいたくもなろう。
by akirairiyama
| 2011-07-16 00:00
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