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2012年 01月 26日
林雄二郎先生を偲ぶ会に出席した。生前の先生からはいろいろとご教示頂いたことが多かっただけに、簡素な「偲ぶ会」はいかにも先生らしい集まりであった、と改めて思ったことだった。と、偉そうに前書きめいたことを書いたが、先生の学者としての業績とか、自然科学者としての卓見については、筆者は全く語る資格を持たない。1974年、先生が先の豊田英二氏に請われてトヨタ財団の専務理事を引き受けられてから、より正確に言えば、筆者が民間非営利組織と関わりを持つようになった1983年以降に先生のご薫陶を受ける幸に恵まれた。従って、多面的な先生のご活躍のうち、筆者が垣間みることが出来たのは、民間非営利組織、特に助成財団という組織のありようを通じてのものに留まる。それのみを通じて先生を語ることは、あるいは葦の髄からなんとやらの誹りを免れないかもしれないが、温厚な先生は破顔一笑、お許し頂けることと信じている。
先生の所説が新鮮に聴こえたのは主に二つの理由による。一つは、当時の民間非営利組織として代表的な存在である公益法人が、永年に亘る「公益国家独占主義」とも言うべき体制の下にあって、とかく胡散臭く怪しげな存在、放っておくとどんな悪いことでもしかねない存在、従って眼ひき袖ひき、箸の上げ下ろしまで厳重な監督の下におくべきだ、という風潮の中で、「GDPの数パーセント程度の民間非営利組織の存在というのは、いわば自動車のハンドルの「あそび」のような存在であって、これがあったほうが世の中はスムースに動く。こうるさいことを言って縛り上げるよりも、そのほうがよほど世のため人のためだ」といって憚らない歯切れの良さにあった。特に、税制上の優遇措置が与えられている公益法人というのは、いわば公金を遣う立場なのだから、指導監督は厳重に行われるべきだ、という倒錯した議論が堂々と通用しているご時世では、我が意を得たり、の議論に聴こえたものだ。 そして第二には、「官」との関わりについての議論である。「だから市民社会、民間非営利組織は失敗をおそれない。それが政府の取り組みとの最大の違いだろう。その結果うまくいったものについては、比較にならないほどの予算規模で「官」が引き継いで実行に移す。こうした分業がうまくいってこそ始めて社会は活性化される」という。米国出自の思想的背景の濃厚な財団界において指導的な考え方というのは、官でもなく、市場でもない、独立して(independent)二者に対峙するセクター、というものであった。他方、官の無用な干渉にアレルギーの強い論客の間でも、官と「一線を画した」第三のセクター、という考え方は魅力的で、現に、資金的に余りに多くのものを官に依存していては民間非営利組織の独自性は喪われる、という原理主義的な論客は今日ただいまでも随所に散見されるところだ。 先生の所論は現在でもその魅力を失わないのはご承知の通りなのだから、30年前に所説を開陳されたパイオニアぶりというのは、いくら強調しても強調しすぎることはないといってよい。(この項続く。)
by akirairiyama
| 2012-01-26 11:25
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