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2008年 12月 17日
日経新聞の「私の履歴書」は、功成り名遂げた方々の自分史なのはご承知の通り。よって、あまり面白い読み物である場合は少ないが、小宮隆太郎氏の12月17日掲載分は実に痛烈で久々に溜飲の下がる思いであった。先に(12.11「政策」)触れた中央省庁の設置する審議会・調査会の類いについての忌憚ない意見が述べられている。少し引用させて頂くと、『私は「審議会とか調査会というのは、審議とか調査をする場ではない」と悟った。国会が本来の役割を果たしていないので、ああいう妙なものがはびこるのだ。役人の隠れみのであり、業界の既得権益を守る道具であり、一部の学者・マスコミ人の虚栄心を満たすものだと思った。』言い得て妙。誠に間然とするところがない。役人の言い分にお墨付きを与える、という機能に陥りがちなこの種の委員会の弊害を明快に指摘している。政策策定や基本方針をこんなものに依存していることの危険性と愚かしさを端的に表現しているというべきであろう。さればこそ、フルタイムのシンクタンク機能を持った組織が必須な訳で、「国会が本来の役割を果た」す、つまり政治家がイニシアティブを取ってこうした政策策定のプロ集団を組織することの必要が余すところなく表現されている。
もっとも、全ての委員会の類いがこうしたものばかりではない、というのは公平の見地から付言しておいた方が良いだろう。その一例が、今回の公益法人制度改革に際して設置された公益等認定委員会である。今回制度改革が改革どころか改悪であることについてはたびたび指摘した。そのうちの一つ、収支相償、つまり公益事業を行う組織は支出を超える収入を得てはならない、という愚かな規定について(11.17「民に出来ることは民に(4)」)、10月10日に開催された第40回委員会は痛烈にお役所の提案を批判し、葬り去った。そもそも収支とんとんか赤字基調が組織のあるべき姿だ、という話の非現実性については詳説の必要はないだろう。それを糊塗するために、単年度では黒字が出ても良い。しかし、それは次の年には使い切るべし、とするお役所の弥縫的な論法を、この委員会は良識を持って粉砕した。 何がそんなに馬鹿げているのか、この世界に余り詳しくない読者のために解説すると、ある年度の収入はその年に使い切るのが当たり前で、使い残りが出るのは例外的。それも次の年には使い切れ、というのは、単に組織の継続した存在にとって非現実的な前提であるのみならず、次のような馬鹿げた事態によって、法人の自己統治能力(ガバナンス)まで否定することになる。例えばノーベル賞のように、賞金を出して、ひときわ優れた業績を表彰する公益法人があったとしよう。ある年に表彰するにふさわしい業績を挙げた人がいなかったから、今年は受賞者なし、というのはダメ、ということになる。収入(賞金の原資)が支出(授与する賞金)を上回るからだ。ご親切にも、そういう場合は次の年には繰り越しても良い、とお役所はおっしゃる。で、次の年になった。再びさしたる業績として認められるものがなかったとしよう。それでも今度は待ったなし。二年分まとめてか、少なくとも前年分は使いきれ(ノーベル賞を出せ)、という冗談のような話になる。卓越した業績を表彰しよう、という組織(賞)の目的を、「その年で一番ましだった業績を表彰する」という組織に化けろ、と言っているに等しい。小役人の法解釈が法人のガバナンスを侵害していることは明らかだろう。法制度の愚劣さと委員会機能がややごっちゃになった議論になったが、世の委員会が全て公益等認定委員会のようなものなら、小宮先生の舌鋒も少しは変わったものになっていたかもしれない。もっとも各地方自治体に置かれる類似の委員会のうち、東京都の委員会は、まさに「妙なもの」としかいいようのない結論に達したりしているから、余り楽観的にもなれないのだが。
by akirairiyama
| 2008-12-17 14:25
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