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2009年 04月 24日
2001年にビョルン.ロンボルグの”The Sceptical Environmentalist’(邦訳は「環境危機をあおってはいけない」という味気ないタイトルになっているが)を読んでから、一面的なそれこそ危機意識を「あおる」ような環境問題報道にはいささかの違和感を覚えるようになっていた。彼の主張というのは、要するに環境保全そのものは意味あることではあるが、息せき切って資源の主要部分を危機防止に投入するのはいかがなものか。他にも人類に解決を求められている課題は多いし、第一いうところの危機はひとつのコンピューターモデルに過ぎず、いわれているほどのものだという確証に欠けている、というものだ。
果然、乏しい科学的根拠でいたづらに危機感を「あおって」いると名指しで指摘されたWorldwatch Instituteや IPCCからは猛然たる反論が提起されたりしたが、なぜか(特に日本では)一般のマスコミにあまり正統的な議論としての扱いを受けないまま推移している、というのがあらましである。ところが、文芸春秋5月号は櫻井よしこ氏と地球物理学者・赤祖父俊一氏との対談形式で「地球温暖化の詐偽を暴く」(この余り趣味の良くないタイトルはともかくとして)と題して、この問題を正面から取り上げた。こちらの方は、百年単位、あるいは万年単位で観測される過去の地球気温の変動から見れば、現在提起されている問題意識は、例外的かつ特異な新現象が発生しているという説得性に欠ける議論だ、というもので、その意味ではロンボルグの論点と軌を同じくしているといってもよいかもしれない。 身近な例でいえば、数百億・数千億円の税金を含むオカネを投じて行われようとしている排出権取引なるものの妥当性にも関わる問題だけに、もう少し公開の議論がなされても良いように思うのだが、なぜか「今すぐ取り組まなければこの世は終わり」(Doomsday sayer)のような議論だけが目につくことが多い。政治的議論というのは、一面を誇張して説得力を増す、という傾向から自由ではない。その意味では何も環境問題に限ったことではないのかもしれない(選挙制度、あるいは教育制度議論などもその傾向の一例である)が、善玉と悪玉の二元論というのはとかく耳に入り易いのも事実だ。 学者、専門家といわれる人々の出番であることに疑いはないが、周知のように彼(女)らとて人の子であってみれば、御用学者の類い、あるいは私的利益の動機付けから自由であり得ないケースもまた多い。となると、公開の議論を経て最後はわれわれ、あるいはわれわれが選挙を通じて指名する政治家の「めきき」にかかる部分がことを決する、というのが民主主義のメカニズムだろう。そのためには前提となる公開の議論と情報量が必須とされる筈だ。ところがその前提が仮に満たされた場合であっても、過大な情報量の処理が素人の手に余ったり、判断に費やしてよい時間の制限要素などから、消化不良、はなはだしきはほとんど咀嚼しないままに事が進む、というケースもまれではない。(陪審員制度なんていうのもその一例のように思われる。)いささかこのブログの我田引水になることをお許しいただけば、このディレンマ、あるいはトリレンマを解決するのに当たって、民間非営利組織というのはおおいに力ある存在なのだが、それが日本ではこの始末だとすると、喫緊の問題というのは、現在進行中の公益法人制度改悪を白紙に戻すことかもしれない。 余談にわたるが、文芸春秋のこの号の巻頭「葭の髓から」の塩野七生氏の「イタリアが元気な理由」は実に楽しい。立ち読みで良いから一読をお勧めする。
by akirairiyama
| 2009-04-24 10:19
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