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2009年 05月 14日
昨今の米国の外交姿勢は、ブッシュ政権時代のそれに比べて大きな変化を見せている。国連人権委員会への復帰はその端的な例だが、現象面だけではなく、根っこにある考え方のようなものについての現れ方を紹介してみたい。
いまさら指摘するまでもなく、ブッシュ時代(に限らないが)の米国は、自ら尊しとする価値観を他にも「押し売り」をする気配が濃厚だった。これはほとんど確信犯のようなところがあったのは、第二次大戦時の日本の「八紘一宇」とか、なにもそこまで遡らなくても最近の環境運動や高校全入のような動きにもいえることだから、さして目新しい傾向な訳ではない。違いがあるとすれば、強大な資金的・物理的強制力にものいわせて「いうことを聞かないとひどいぞ」みたいな背景があったことだろう。その意味では。その両面において米国の圧倒的優位が揺らいでいることとあるいは無関係ではないかもしれない。 しかし、民主主義の振興(promotion)から支援(support)への米国国策の態度変革を主張するCSISのアレクサンダー・レノンの論文を読んだりすると、そんなシニカルな見方よりは、むしろ米国論壇の健全さと成熟度を見る思いがある。彼は最近のCSISの刊行物の中で「超大国の影響力は、理念(idea)を供給する能力がなくなったときに終わりを告げる」というブレジンスキーの言葉を引用しつつ、その理念こそが他ならぬ民主主義なのだが、その「押し売り」を戒め、「手助け」こそが採るべき途だとする。もちろん米国の外交姿勢に過度の理想的期待を持つのは現実的ではないものの、傾聴すべき側面があるのは確かだ。 というのも、超大国とはいわないまでも、当分世界二番目の経済大国である日本が、民主主義と比肩しうるどのような理念(idea)の提供に成功しているか、と自問したときに「唯一の被爆国」「絶対平和主義」以外のそれを世界に向けて発信したことがないように思うからだ。「自由と繁栄の弧」を唱えたのは他ならぬ現麻生総理(当時外相)だが、惜しむべくは、それを根付かせる具体策の試みないまま、例によって霞と消える政治的スローガンになる可能性大だといわねばなるまい。 やれポスト小沢だ、麻生だも結構だろう。現実政治には泥臭く生臭いものがあるのは当然だし、それがないフリをすること自体一つの政治的ポーズでありうることは誰でも知っている。が、同時に、世界に向けて日本の寄与しうる思想的成果を提供することもとてもやりがいのあることのように思う。それが官僚まかせでは出来ないことは理の当然だ。官僚にそんなことにうつつを抜かしてもらってはかえって国民が迷惑する。そのアイディアを供給するのが、民間非営利セクターであり、民間公益活動といわれるものだ、というのは先にCSIS(ちなみにこれは非営利組織で、日本では官僚がよってたかって殺しにかかっている公益法人である)が如実に示している。
by akirairiyama
| 2009-05-14 01:00
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