• フォロー|
  • ログイン|
  • ブログを作る!(無料)

「akira's view」の更新通知を受け取る場合はここをクリック

akira's view

airiyama.exblog.jp
ブログトップ

入山映のブログ
by akirairiyama
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る
カテゴリ
全体
未分類
以前の記事
2012年 06月
2012年 05月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
自民党
from つよしの日記
値上げに悩むなんて浅はか!
from muse-9
ライフログ
検索
タグ
民主党
その他のジャンル
  • 1 金融・マネー
  • 2 受験・勉強
  • 3 スクール・セミナー
  • 4 ブログ
  • 5 競馬・ギャンブル
  • 6 鉄道・飛行機
  • 7 法律・裁判
  • 8 語学
  • 9 健康・医療
  • 10 メンタル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
エキサイト
XML | ATOM

Powered by Excite Blog

個人情報保護
情報取得について
免責事項

<   2010年 11月 ( 10 )   > この月の画像一覧

  • 問責決議
    [ 2010-11 -27 10:31 ]
  • 近事往来
    [ 2010-11 -23 11:48 ]
  • オペラ
    [ 2010-11 -22 02:33 ]
  • 暴力装置
    [ 2010-11 -20 10:15 ]
  • 節操
    [ 2010-11 -17 17:14 ]
  • 北海道
    [ 2010-11 -13 22:06 ]
  • 農業
    [ 2010-11 -10 22:48 ]
  • 北方領土
    [ 2010-11 -06 00:09 ]
  • 東京バレエ団
    [ 2010-11 -04 11:28 ]
  • 死刑
    [ 2010-11 -02 23:09 ]
1
2010年 11月 27日

問責決議

 世に言う「ねじれ国会」で、参議院の(多数)野党が問責決議案を出せば通るに決まっている。で、通った度毎に与党が内閣改造をしなければならない、というのではおよそ国の政治が立ち行かないのは目に見えた話だ。だから、更迭などしない、というのは当たり前の話で、これをことさらに菅内閣の危機だの、政局だのと報道するマスコミの姿勢はどうかしているという他はない。

 別に菅内閣の施政が満足すべきものだ、とか擁護に値する、と言っている訳ではない。民主党が与党慣れしていないのと同じように自民党も野党慣れしていないから、どこで拳を振り上げて、どこで降ろすか、カンどころがつかめていないのはやむを得ないだろう。民主党内閣に習熟期間が必要なのと同じように、自民党にも慣れて頂く他はあるまい。

 とは言いながら、仙谷さんと馬淵さんが出席する会議は審議拒否だ、という勇ましい言い分をいつどのタイミングで降ろすか、それは見物だけれど、年明けに、またこの問題で空転する国会を見せられるのかと思うといささかうんざりする。しかし考えてみるとこの何十年かの間、国会というのはほとんどこういう中身のない駆け引き、というか猿芝居のようなことしかやってこなかったのではないか、という疑念が兆す。

 言葉を換えれば、基本的な政策課題について、公開の席上で建設的な議論をする手法について未経験だ、ということになろうか。密室の腹芸の経験はあっても、委員会や本会議の席上でどうやって彼我の議論を噛み合わせるか、というのは未知の分野かもしれない。というより、一体そんなことが本当に可能なのか、というのも実証されたことがない、と言った方が正確かもしれない。要するに結論の見えた出来レースでメンツを保つ、という手法しかご存じない、というのが一方にあって、他方では、ギブ・アンド・テイクが出来る形で物事を問いかける、というノウハウが皆無だ、ということだろう。

 実のところ、そんな方法論が存在するという保証はない。してみると。両院で多数を占めるべく政党間の、あるいは政治家グループ相互間の離合集散のブラウン運動を活発化して、政界再編をする以外に方法はない、ということになりそうだ。情けないことにこの方向について一番感度が高いのがあの小沢さんで、後の皆さんはまだそれほどには事態が切迫しているとはお考えになっていないように見える。またしても非民主主義的闇将軍主導の政治、なんていうのは願い下げにしたいものだが。
タグ:
  • 問責決議
  • ねじれ国会
  • 小沢一郎
みんなの【問責決議】をまとめ読み
▲ by akirairiyama | 2010-11-27 10:31
2010年 11月 23日

近事往来

 自民党政権末期のありようと民主党政権のどたばたのお陰で、こと政治に関する限り大概のことでは驚かなくなった。でも驚きは日々に新しというか、柳田法相の更迭にも驚いたが、その後まだまだ小沢喚問をしなければ予算審議に応じない、と伝えられる自民党の対応にはほとんど言葉を喪う。みんなの党は内閣不信任だと言う。いっそ生殺しくらいならそれですっきりさせてリセットがよいだろう。

 ねじれ国会に期待した「熟議」の政治過程はどこへ行ってしまったのか。それともあまりにも類似の対案しか出せないから、民主党政権に埋没してしまうのが怖いのか。議論のタネは無数にあると思うのだが。何よりもこんなことでは、色褪せかかっているとはいえ唯一のスローガンである「脱官僚」が痕跡さえ留めなくなることは必定だ。

 だらしないのは野党だけではない。民主党もいったいどうしたというのだろう。「仕分け」が骨抜きになったのを怒らないどころか、むしろ弁護擁護に回る、というのはいかに支援労組の陰が見え隠れするとはいえ、民主党の自殺行為としか言いようがない。ずるずるとかつての「自民病」にかかるのを座視するくらいなら、すっぱり党を割った方が良い。特に小沢一派はもう反民主主義的手法、という意味でほとんど中国の首脳並みだ。とても同じ屋根の下にいられるとも思わないし、いるべきでもないだろう。ノーサイドの幻想は消えている。

 潔さと歯切れの良さが取り柄だった菅さんも、首相ともなればさすがにそうもいっていられない、というのは解らないではない。しかし、これほどまでに自らの持ち味と信念を犠牲にしてまで執着するほどの権力なのだろうか。権力とは自己目的ではなく、何事かをなすためのものだ、という自明の原理を再確認された方が良いのではと思う。そんなことは百も承知だ、とおっしゃるのなら、この政権は何をしたいのか、今からでも遅くないから「ご自分の言葉」でおっしゃることだ。森羅万象にわたる必要はない。菅さんがそんなに何でも知っていると思っている人はいない。貴方の魅力は「これだけは譲れない」にあった筈ではないか。

 民主党が頼りないからといって、だれも自民党の復権を望んでいない。それが唯一の救いなのだが、それとてもいつまで続くとは限らない。機会には前髪しかないといわれるが、かなりふさふさした前髪だったが、さすがにそろそろつかみかねることになっていはしないか。
タグ:
  • 柳田法相
  • 菅首相
  • 自民党
みんなの【柳田法相】をまとめ読み
▲ by akirairiyama | 2010-11-23 11:48
2010年 11月 22日

オペラ

 日経新聞11月20日プラス1は、オペラ人気ベスト10を特集した。それによるとトップはカルメン。これは衆目の一致するところだろう。以下トラヴィアータ、トゥーランドットと続く。トラヴィアータは押しも押されもせぬ新派大悲劇だし、トゥーランドットの方はフィギュアスケートで使われた「誰も寝てはならぬ」で選ばれたと思えばこの人気も納得だろう。次が蝶々夫人というのも、日本が舞台の本格オペラということだから、多少駄作が選ばれてもこれは理解できる。

 その次あたりから、フィガロの結婚、魔笛、セビリアの理髪師、ドンジョバンニといささか玄人好みが並ぶ。トゥーランドットと同じで、劇中一曲位は有名なものもないではないが、その次にリストに上るボエーム、トスカに比べればはるかにマイノリティである気がしないでもない。まあ日経のやることだし、日本駅弁ベストテンなみの素人好み、ということで、漫画家で歌も歌うというふれこみの女性にコメントをさせたりもしている。いわく、オペラなんていうのは豪華な音楽付きの人形芝居だと考えればよい、なんていう、ひっくり返る様な内容だから、余り真面目に議論する方が見当違いなのかもはしれない。

  しかし、この素人向けのオペラ記事に限らずマスコミのコメンテーターの選択には首をかしげたくなる事が多い。これも「そんな程度のものよ」と言ってしまえば目くじら立てる話ではないのかもしれないが、政治談議に野球監督を出したり(出る方も出る方だが)、同じくやたらかん高い声でしゃべる売れっ子タレントを起用したり。お身内ではしゃぎまくっていれば良い、としか心得ていないような番組作り同様、テレビ番組の質をこれでもか、と下げるのに懸命だと見えるのはあれはどうしたことだろう。

 多分テレビは滅びへの道を一直線にたどっているのだろうと思う。余りに安直なドラマの作り方を見るにつけ、これが映画界で国際賞の常連国の作品なのかといぶかしい。制作費の少なさと作品の質の低さ、それがスポンサーのなり手を少なくするという悪循環に陥っているのだろう、などと、オペラ記事の訳のわからない自称歌手のコメントに腹を立てて妙なところに飛び火をしてしまった。
タグ:
  • オペラ
  • コメンテーター
  • テレビ
みんなの【オペラ】をまとめ読み
▲ by akirairiyama | 2010-11-22 02:33
2010年 11月 20日

暴力装置

 株価が一万円を回復したり、企業業績が多少上向いたりで、少し明るい気配が漂い始めたとはいえ、経済に対して政治の機敏な対応が強く求められている昨今、そんな情勢はおかまいなしに問責決議案だ、解散に「追い込む」んだ、とあいも変らぬ一昔前の国対政治をおやりになっている国会には化石をみている観がある。まあ、政治家とか政党というのは政権を取ってなんぼ、という面があるのは確かだから、あまり訳知りでより良い解決策を求めるのに協力などしていると、結果的に現政権に協力した事になり、自分の天下をもたらすのには役立たない、ということなのだろうか。だからといって、また一年足らずで新しい総理大臣の顔がみたいと思っている人も少ないだろうに。

 それにしても仙谷官房長官の「暴力装置」発言を巡るやりとりには驚いた。辞書を引くと、暴力というのは「乱暴な力、無法な力」という意味だと言う。普通には「物理的な強制力」という意味では使われないようだ。とすると、政府の、あるいは国家の持っている国民に対する強制力というのを端的に表現するコトバが見当たらない。税金を滞納しました、司法警察官の言うことを聞きませんでした。その時に有無を言わせず引っ括って暗いところに入れる、というのはやはり「暴力」という言葉が一番ぴったり来るような気がするのだが。もっとも、専門用語というのは時として日常の用語と意味が違うことがある。例えば悪意.善意というのは法律用語では単に事情を知っていたか、知らなかったか、という意味でしかない。だから国会答弁で「悪意で言ったに決まっているじゃないですか」なんて言ったら、知っていて言ったに決まっている、とは誰も受け取らないだろうね。政治の場での用語選択というのはことほどさように神経を使った方が良いということかもしれない。マックス・ウェーバーも苦笑しているだろう。

 ならば相撲協会がお付き合いしたのは「反社会的勢力」などと回りくどいことをいわないで、はっきり「暴力団」といえばよさそうなものなのだが、こちらのほうはなぜか婉曲な表現を敢えてお使いになったようだ。使い分けにもいろいろあって、「思いやり予算」なんていうのも日本でしか通用しない。英語ではhost nation support(駐留国負担)で「思いやり」なんていうニュアンスはない。英語は国際語だとは良いながら、不得意で国際会議で一人ぽつんとしている政治家もいるとか。もっともなまじ得意顔でTrust me.なんて言った挙げ句後で収拾がつかなくなるお粗末な英語使いよりは良いか。
タグ:
  • 暴力装置
  • 国対政治
  • マックス.ウェーバー
みんなの【暴力装置】をまとめ読み
▲ by akirairiyama | 2010-11-20 10:15
2010年 11月 17日

節操

 逢いたい見たいと夜もすがら。やっとかなった三十分、というのは片思いの高校生のデートではない。報道機関の伝える日本国総理大臣の中国国家主席との会談の話だ。もちろん逢いたがったのは向こうさんではない。何をそんなに擦り寄って辞を低くする必要があるのか、と思う。誰が蒔いたタネなのかは別にして、隣国との間がとげとげしいよりは仲睦まじい方が良い。当たり前の話だ。しかし、何をおいても仲良しを演出するのが大事かどうか。

 非・民主主義国家の指導者との間に「対話」は成立しない。異なった視点を認めあって、相互間に共通点を捜し、それによって相互の価値観の共存を目指す、というプロトコルが成立しないからだ。従って、行いうるのはたかだか実用的なイシューについての解決の合意、あるいはquid pro quo(オレがこれだけやるからオマエもあれだけよこせ)でしかあり得ない。国内で異なった意見の存在を認めない体制が、国外でそんな思考回路を持ちうる筈がないのは三歳の童子にでも解る理屈だ。

 それを知ってか知らずでか、といえば一国の宰相に失礼にも当たろうが、何も成果がないことは予め解っている「会談」(でさえないそうだ)によだれを垂らさんばかりとは。ノーベル平和賞授与式に大使が出席するのは当たり前、と言ってのける前原外務大臣の清々しさと好対照だ。そもそも、壊れたテープレコーダー(なんてものはもうないかな)みたいに繰り返す「戦略的互恵関係」そのものが、二国間対話には全く実りがないことを認識した挙げ句、近隣諸国、あるいは関係国を巻き込んでのマルチの対話チャンネルを設けなくてはならない、という認識から生まれた表現ではないか。

 あけすけに言ってしまえば、付き合わないで済むのなら金輪際付き合いたくない無作法な隣人だ。それがそうもゆかないとなれば、節度を持ったおつきあいを志すべきだろう。国の矜持とか体面を持ち出すつもりはない。しかし、飼い主に親愛の情を示すワンちゃんよろしく、仰向きになって無抵抗を示さんばかりの態度は外交と言えるものかどうか。その挙げ句、会談では「あの島は固有の領土だ」と言ってきた、というのではほとんど落語に近くないか。

 かつてお手本にした君子、あるいは士・大夫のありようを本家本元が忘れ去っているからといって、こちらまでその真似をして節操を喪うことはないだろう。
タグ:
  • 日中首脳会談
  • 前原外務大臣
  • 君子
みんなの【日中首脳会談】をまとめ読み
▲ by akirairiyama | 2010-11-17 17:14
2010年 11月 13日

北海道

 北海道の話を続ける。北海道の自動車道路というのは真っ直ぐなのが当たり前で、少しでもカーブがあるのは異例かつ好まれないのだと聞いた。それだけのことなら、日本で珍しく人口稠密ではない地域を通る自動車道らしいね、で終わる話だが、少し道内を走ってみれば、この話とシンクロして、土建国家日本の象徴的存在が北海道ではないかと思ったりするのだ。その真っ直ぐな道に走っている車にろくにお目にかからない。それだけではない。雄大な大自然の中に、たまに目につくものといえばコンクリートのサイロであり、土建業者のデポであり、土木工事用の車両が圧倒的に頻度が高い。

 もちろん僅かの期間の滞在で断定的なことを言うのは、それこそ九牛のなんとやらの譏りを免れまい。それを承知で敢えていえば、東京が発想して日本をダメにした施策が北海道で拡大再生産されるのを見るのは何ともやりきれない思いだ。例えば宿をとった洞爺湖温泉。何の変哲もないコンクリート高層の旅館が散在する。団体客のため、新規顧客開拓のため、などと金融機関の甘言に乗ってのことだろう。東京の老舗で本店の立て替えビルの借金が払えずにあえなく倒産したのも一軒や二軒ではない。さて、その旅館の中に入ってみれば、バリヤーフリーどころか、意味のない階段と意味もないエレベーターが無秩序に配置されている。東京の公共施設と同じだ。「出来るだけ」バリヤーフリーにする。利用者に親身な配慮は二の次。設計の都合優先だ。その上不景気なのだろう、値引き合戦がたけなわとかで、筆者が泊まった宿は一流どころだと聞いたが、一泊二食付きで五千五百円。いくら物価が安くても、こんな自殺的な値付けで持続可能な訳がないと思う。牛丼チェーン、ファストフードもかくや。

 知恵と工夫でブームを巻き起こした旭川の動物園とは何という違いだろうと思う。北海道こそ、北海道でなければ提供できない環境とサービスを念頭に置かなければ自滅の道をたどる他はないのではないか。やってしまった愚劣な設備投資は今更どうしようもないのだろう。ビルになった旅館もメンテナンスにおカネがかかってしまうのは頭が痛いが、いっそ開き直って高齢者施設にでもしてはどうだろう。

 とここまで書いたら世間が海上保安官の情報漏洩で騒がしい。そもそも政府が隠したのがけしからん、とか、中国に気を使い過ぎだとか、あるいは官房長官がけしからんなどなど、マスコミは愚にもつかないコメントを競っていらっしゃる。上司の了解も得ないで勝手に資料を持ち出したら、これは服務規律違反ですよね。公務員かどうかに関係ない。訓告・戒告、果ては解雇もあり得ます。守秘義務だなんだとおっしゃるのなら、国民の知る権利はどうなんだ、ということにもなろうし、そんなに難しいことを良い募る必要もないと思うのだが。もっともそれではメシのタネに出来る人が少なくなってしまうかな。

 
タグ:
  • 土建国家
  • 温泉旅館
  • 情報漏洩
みんなの【土建国家】をまとめ読み
▲ by akirairiyama | 2010-11-13 22:06
2010年 11月 10日

農業

 しばらく北海道にいた。「農こそ国の基」という信念から、定年後、全財産をはたいて10ヘクタールほどの農地を手に入れ、洞爺湖畔で有機農業に取り組んでいる旧友の許を訪れた。全く観念的にしか農業問題を理解していなかった筆者にとっては、まさに目から鱗の話も多く聞くことが出来た。以下の話は多くがその友人の十年の農業経験談の受け売りで、従って大いに彼のバイアスがかかっていることも予想される。ただ、お話としてはそれなりに筋の通ったものだから、そんな見方もある、と思っていただければ幸いだ。

 近隣農家のうち、経営採算のとれているのはひいき目に見て三分の一だろうという。赤字経営の原因は、永年にわたる國の無責任な農業政策を初め、数えればきりがないが、その結果直接的に何が起こっているかというと農協からの借金漬けだという。機械化、農地整備、作付け品種変更などなど、度重なる借金はこの辺りの平均で一戸あたり一億円近いものがある。借金で首が回らなくなり現金収入がなくなると、農協からツケで品物を買う。農協は無利子で貸してくれるわけではないから、サラ金地獄状態の農家も少なくない。清算するためには死人が出る。あちらで自殺者が出た、こちらで用水池に落ちた、という話は珍しくない。生命保険も農協で入っている。

 わが国の農業が価格の国際競争力を中心に脆弱な体質だとは承知していた。しかし、その競争力欠如や脆弱な体質が、これほどまで深刻な状態を意味しているとは知らなかった。280万農家の2/3が1億円の借金を抱えて返済不能なら、不良債権額は百兆円を超える。専業農家42万としても20兆円を超える。仮に話半分としても見過ごしうる数字ではないように思われる。おりしもTPP参加が俎上に上って、いまさら農業政策の基本方向についての議論を始めるのだという。唖然とする他はないが、議論は競争力を完全に喪失した農産品をいかにして保護し続けることが可能か、という点に限定されているように見受けられる。一体どれほどの農産品をどれほどの期間補助金漬けにするつもりかは知らないが、それより先に不良債権の表面化をどのようにして防ぐつもりなのだろう。

 農協の与信業務は、JAバンクの名称にもかかわらず厳格な査定評価を受けていないと聞く。見て見ぬ振りの臭いものに蓋、というのにも限度というものがある。仕分けを愚弄して焼け太ったりするのが得意技の農水省かもしれないが、事の重大さをはっきりさせるべきだ。そんな事態は起きていない、というのならなお結構ではないか。
 
タグ:
  • TPP
  • 日本の農業
  • 北海道
みんなの【TPP】をまとめ読み
▲ by akirairiyama | 2010-11-10 22:48
2010年 11月 06日

北方領土

 中国の次はロシアだ。まさか示し合わせて民主党内閣を揺さぶっているという話でもなかろうが、こちらの方は「実効支配」のデモンストレーションだけに、手も足も出ないもどかしさは一入だ。漁民に移住されても、地熱発電所を作られても、ビザなしで人目をはばかって上陸させていただくくらいが関の山で、お定まりの「国際世論に訴え」てみても、全く一顧だにされない、というのではただ虚しさだけが色濃い。ロシア経済が不調で、シベリア開発に日本の協力が唯一の頼りだった頃は過ぎて、日本経済は不調、天然資源獲得に先進諸国が血眼になってくれば、北方諸島について余り日本を刺激したくない、という気遣いは不要になりかかってくる。

 百年待っても四島返還に応じる相手ではないのなら、いっそ二島で、いや三島で手を打つ方が賢明ではないか、とはゆかないのが領土問題の悩ましさで、ことが単なる現実的な経済利害だけでは割り切れたりしないから厄介だ。話し合いによって相手の理性に訴えようにも、中国ほどではないにしても開かれた民主主義国とはとても申しかねるお国ぶりであってみれば、こちらの言い分を相手国のメディアに流すなどは金輪際期待できっこない。さりとてあの國の言論が西側並みに自由になるのを待つ、というのでは、これまた気が遠くなる様な話だ。要するに打つ手がないに近い。

 取りあえず二島だけ返して頂き、残りはゆっくり議論を、というのも、手のうちは見透かされてそれには応じない、というのだから、まさに八方ふさがりというべきだろう。現在の日本外交というのは、要するに筋の通らない妥協はしない。つまり四島全部が帰ってこなければダメだ、という態度を貫く。結果二島さえ日本の実効支配下におけなくても、それはやむを得ない。未来永劫に四島は日本固有の領土だと言い続けることに意味がある。それによる実害は軽微であり、なまじ原則論を放棄することによるダメージの方が遥かに大きい、と判断している訳だ。

 第二次大戦終結時のあらゆる国際法を無視したソ連の蛮行の果実だけがロシアに継承されている。この國との間にはまだ第二次大戦の戦後処理が終わっていないのだ。民主党政権は鳩山首相の信ずべからざる愚行によってこの問題を解決する緒を完全に放棄した。当分は解決能力がない、と見るのが妥当だろうし、無定見に解決を目指されたりしたら悔いを千載に残す。解決策はない、という既成事実を作るのがこれまでのロシア外交の要諦だったし、当分はそれが変化することを期待する理由もない。日本がとりうる選択肢の数はそんなに多くはない。

 別にロシア首相に触発された訳ではありませんが、しばらく北海道を旅してきます。帰ってきたらまたお逢いしましょう。
タグ:
  • 北方領土
  • ロシア
  • メドベージェフ
みんなの【北方領土】をまとめ読み
▲ by akirairiyama | 2010-11-06 00:09
2010年 11月 04日

東京バレエ団

 東京バレエ団の創立30周年記念ガラに行ってきた。モーリス・ベジャールバレエ団との共演で、ズービン・メータとイスラエルフィルをコックピットに入れるという豪華版。演目は東京バレエ団がペトルーシュカ。ベジャールが「愛が私に語りかけるもの」と題したマーラーの交響曲第3番の4・5・6楽章。そして最後に両バレエ団共演の「春の祭典」が勢揃いである。振り付けは全てベジャール。甲乙付け難いラインアップだったが、やはりマーラーの3番が圧巻だったように思われた。共演の藤村美穂子のメゾ・ソプラノが例によって巣端しかったのもさることながら、十人を超える群舞が、あるときはマスとして、あるときは一人一人違った動きで踊る。至難な動きとみえるものを何の苦もなく踊ってみせる踊り手たちも感動的だが、そうした動きを設計し、それを舞台上に現出させるコレオグラファーの仕事というのはただ事ではないように感じられた。

 最近流行の「才能もないくせに自己主張だけは強いオペラの演出家」(永竹由幸氏の名言)とコレオグラファーとの違いは、とにかくコレオグラファーは踊り手との相乗作用で美を創出する。おそらく素晴らしい踊り手が素晴らしい振り付け師に出逢った時に、バレエ芸術というのは最高の境地に到達するのではなかろうか。オペラの演出家というのは、当たり前の話だが、歌手の能力を引き出したりはしない。総合芸術としてのオペラの観客により深い感動を与えるお手伝い役の筈なのだが、時として演出家の自己満足としか思われない目障りな工夫がなされるのはご承知の通りだ。最近の売れっ子の演出家、特にドイツ系の若い演出家の目に余る暴挙を腹に据えかねているからついこんなことを書いてしまうのだが、芸術の世界でも悪貨が良貨を駆逐するという現象が頻繁に見られるようになるのでは頭が痛い。

 春の祭典は、ストラビンスキーが自作を指揮したコロンビアのSPであの「奇怪な」(と当時は思われた。なんせ半世紀前の話である。)音楽の虜になってから久しい。あれがバレエ音楽だと聞いた時にはもう一度驚いた。というのも、当時はバレエとは白鳥の湖みたいに白いチュチュをきて踊る、あんなのだけがバレエだと思っていたからなのだが。いろいろな振り付けを見たが、ベジャールのもなかなか良かった。特に、フィナーレに近い部分で、およそ人間の肉体能力を遥かに超えると思われる苛酷な動きを連続して要求され、それを見事にこなしたカテリーナ・シャルキアには脱帽である。
タグ:
  • 東京バレエ団
  • モーリス・ベジャール
  • 藤村美穂子
みんなの【東京バレエ団】をまとめ読み
▲ by akirairiyama | 2010-11-04 11:28
2010年 11月 02日

死刑

 人間の生命という重い主題について、軽々に予測とか推量に基づいた発言をすべきではない。それを十分に承知の上で言えば、裁判員裁判で初のケースとなった死刑適用について、やはり裁判員は否定的な結論を選んだ。新聞報道で知る限りでは、その結論を選んだ理由は、議論の余地なく極刑を選ばざるを得ない、というのではなく、わづかでも「選ばなくても良い理由」があればそれに拠ろうとした、と考えてよいのではないか。これは決して今回の裁判員の選択した結論の妥当性について疑念を呈している訳ではない。というのも、自分の判断で人間一人の生命を奪う、ということになれば、一点の疑念の余地なくその結論を選ばざるを得ない、というのでない限り、そういう判断はしない、というのはむしろ当然の帰結だと思うからだ。

 判断の根拠として、永山基準は裁判官の基準であって、裁判員はそれと違った基準に拠って判断することあり得べし、とか、反省改悛の情が少しでも見受けられれば更正の可能性ありと見る、とか、いくつか法理論としては疑問のある論拠が新聞報道にはみえたが、それはあくまでも伝聞だから詮索はしない。勝手に横恋慕した挙句、本人の母親まで手にかけてそれでも死刑にならない、というのなら、複数の人間を殺しても、強盗目的だったり、強姦目的でない限り死刑適用はない、ということになりそうだ。しかし、それも推測の域を出ないことだからしばらく措こう。

 かつて刑法による処罰には、二つの目的あるいは理由付けがある、という考え方が主流だった。一つは応報刑、つまり道徳的倫理的に許されざることをした人間には当然それに対して答責の義務がある。平たく言えば「目には目を」の延長線上の議論である。いまひとつは教育刑、すなわち反社会的行為に走った人間を矯正して再度社会に復帰させるのが刑罰の目的であるべきだ、という意見だ。後者の立場からは死刑は認められないのは当然である。日本の刑法は死刑を認めている。ということは、応報刑と教育刑の微妙なバランスの上に刑罰制度が成立している、と考えるべきだろう。その見地からは、わづかでも更正の見込みがあれば、いささかでも後悔の念があれば死刑を適用しない、という議論は必ずしも正当なものではない。

 ただ、こうした量刑論、あるいは法の適用を巡っての理論的妥当性を問うのが裁判員制度の本旨ではない筈だ。だから、死刑か無期か、あるいは懲役三年か二年六ヶ月か、という判断を裁判員に期待するのは適当だとは思われない。あくまでも有罪か無罪かの判断だけを裁判員には期待して、量刑という技術論については職業裁判官に一任する、というのが妥当な判断だと思われるのだが。
タグ:
  • 裁判員
  • 死刑
  • 永山基準
みんなの【裁判員】をまとめ読み
▲ by akirairiyama | 2010-11-02 23:09
1

ファン申請

※ メッセージを入力してください