• フォロー|
  • ログイン|
  • ブログを作る!(無料)

「akira's view」の更新通知を受け取る場合はここをクリック

akira's view

airiyama.exblog.jp
ブログトップ

入山映のブログ
by akirairiyama
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る
カテゴリ
全体
未分類
以前の記事
2012年 06月
2012年 05月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
自民党
from つよしの日記
値上げに悩むなんて浅はか!
from muse-9
ライフログ
検索
タグ
民主党
その他のジャンル
  • 1 哲学・思想
  • 2 ネット・IT技術
  • 3 病気・闘病
  • 4 ボランティア
  • 5 車・バイク
  • 6 経営・ビジネス
  • 7 時事・ニュース
  • 8 金融・マネー
  • 9 語学
  • 10 科学
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
エキサイト
XML | ATOM

Powered by Excite Blog

個人情報保護
情報取得について
免責事項

<   2011年 04月 ( 11 )   > この月の画像一覧

  • ものの順序
    [ 2011-04 -26 18:28 ]
  • N響
    [ 2011-04 -22 23:13 ]
  • 財政再建
    [ 2011-04 -20 22:39 ]
  • 仮設住宅
    [ 2011-04 -18 08:47 ]
  • ラ・バヤデール
    [ 2011-04 -16 22:20 ]
  • レベル7
    [ 2011-04 -14 09:52 ]
  • 将の器
    [ 2011-04 -11 15:22 ]
  • ヴェニスのカーニヴァル
    [ 2011-04 -09 09:52 ]
  • 蟷螂の斧
    [ 2011-04 -07 23:21 ]
  • こんな時の政治(2)
    [ 2011-04 -05 22:24 ]
  • ボランティア
    [ 2011-04 -03 10:32 ]
▽ この 月の記事をすべて表示
12次へ >>>
2011年 04月 26日

ものの順序

 先ず何をなすべきかを考えろ(First thing is first.)というのは、特に緊急の事態にあっては黄金則でなくてはなるまい。首相のリーダーシップにいたらざるとこともあるだろう。所詮は小隊長の器であるかもしれない(4.11「将の器」)。しかし、リーダーの資質を問う前に今急ぐべきは、原発事故の終熄であり、仮設住宅の建設であり、壊滅して再起の途を求める第一次産業の復興であり、被災者の生活安定だろう。リーダーが正常人としての能力を欠いて、明らかに更迭を要求する異常な言動でもあればそれはまた別の話だ。

 民主党内の小沢一派と言われる人々の言動は問うまい。センターがあそこまで歪みきっていれば、今更何を言っても所詮ムダだろうし、自滅を待っていればことは済むだろう。野党諸会派の中に、あの愚劣な政治行動を利用しようとする人々が存在しない限り、の話だが。最大野党である自民党が、大連立を忌避するのはそれなりに理解出来ないではない。しかし、この期に及んでも失政の追求や揚げ足取り、さらには柳の下の何とやらではない、問責決議案をまじめに考えているやに伝えられるのは寒心に耐えない。

 十万人を超える人々がまともな日常生活を送ることが出来ず、明日の見通しさえ立たない。放射能被害、風評被害、さらには壊滅寸前の生産活動が半径数十キロにわたって存在している現実。瓦礫の撤去はいうに及ばず、ライフラインの復旧さえ思うに委せていない現実。思いつくままに数え上げただけでこれほどの事態に、建設的な議論が一切国会の場でなされていないというのは、議員がよくよく無能なのか、国民の苦しみに全く鈍感なのか、マスコミ向けのパフォーマンスだけやっていれば能事終われリとお考えなのか。国会論戦なるものが、建設的議論に適した場とはいいがたい、という点を割り引いても恐るべき政治家としての感覚の麻痺としか言いようがあるまい。

 鳴り物入りの復興会議とやらは百年の大計を、資金調達などの些事に煩わされることなく描くのだという。それはそれで大事なことだろう。しかし。現在の放射能汚染が、水素爆発に起因し、従って時間の経過とともに減衰してゆくのか、それともいまなおまき散らされている原子炉、あるいは排水に起因するもので、当分増加こそすれ減ることはないのか、そんなことさえ知らされていない国民にとって、ありていにいえば百年の大計などは、「今すぐやらねばならない」対応の無策に対する目くらましにしか映らないといわれても仕方あるまい。

 憤慨のあまり、という訳でもないのですが、このブログをしばらくお休みします。連休明けにでもまた覗いてみて下さい。
タグ:
  • ものの順序
  • 小沢一派
  • 政争の具
みんなの【ものの順序】をまとめ読み
Tweet
▲ by akirairiyama | 2011-04-26 18:28
2011年 04月 22日

N響

 先の東京バレー団公演でも、出演予定のドイツ人バレリーナがドイツ政府の日本への渡航自粛勧告の影響でキャンセルされるのにぶつかったが、4月のN響定期公演でもハプニングが起こった。今回はマーラープログラムで、「さすらう若者の歌」を歌う筈だったバリトンのディートリッヒ・ヘンシェルが、同じく来日せず、代わりに急遽河野克典が起用された。始めて聞くバリトンだが、やや声量不足の感は否めないが、滑らかで美しい声は、単なるピンチヒッターの間に合わせを遥かに超えて聴衆を満足させた。

 今回の指揮者はノリントン。アーノンクール等と並んでピリオド楽器やピリオド奏法で著名な音楽家だ。ピリオド楽器というのは以前は古楽器と言っていたのだが、一口に古楽器と言っても時代の差が著しい。それぞれのピリオド(period)即ち時代とか期間に応じた楽器、という言い方に変わったもののようだ。同様にピリオド奏法というのも、それぞれの時代に現代とは異なった様々な奏法があったものを現代に復元する、という趣のようだ。筆者は門外漢なので詳説する能力はないが、一番有名なのはビヴラートをかけない奏法で、これも全くかけないという原理主義から、かけかたを抑える、というものまでさまざま。今日のN響も気持ち抑えているような音だったが、定かではない。

 もう一つはマーラーの交響曲第1番「巨人」。編曲の途中で削除された第2楽章を「花の章(Blumine)」として演奏するという洒落たプログラムにもノリントンらしさの片鱗が見えた。マーラーだ、ブルックナーだというプログラムはとかく重くなっていささか胃にもたれる様な場合が多いが、今回のそれは、選曲と指揮者のスタイルがあいまって、さわやかな感じが残る演奏会になった。それにしても、毎度のことながらNHKホール会場従業員の騒がしさは言語に絶する。それも入り口で「入場券お持ちの方はまっすぐお進み下さい」とおよそ無用の案内を絶叫している職員から、モギリ嬢が「まっすぐお進み下さい」はては場内アナウンスがひっきりなしに録音をするな、義援金を集めているからよろしく、携帯は切れ、みたいな放送をする。CDを売っているカウンターでは「本日の曲目を多数取り揃えています」。終演時に偉いさんとおぼしき人々が出口でお見送り。これは流石に無言でありました。

 もう一つ。渋谷駅からNHKスタジオパークまでバスがあるのは結構だが、とても広い構内なのに、遥か手前で客を降ろして、後は歩け、というのはあれはどういう訳なのだろう。もう百メートルほど先で降ろせば随分助かる人も多かろうと思うのだが。
タグ:
  • N響
  • 訪日自粛
  • ノリントン
みんなの【N響】をまとめ読み
Tweet
▲ by akirairiyama | 2011-04-22 23:13
2011年 04月 20日

財政再建

 このところの震災と原発でその余のことはすっかりひとびとの関心から遠ざかってしまった。が、耳目に触れようが触れるまいが、問題の数々が依然として存在し続け、その重要性あるいは緊急性がいささかも喪われていないのはいうまでもない。とかく評判のよろしくない菅首相だが、過日の国会答弁で震災復旧と財政再建が彼にとっての二大課題であることを明言した。忘れてはいませんよ、というだけのことだ、と辛口の方もいらっしゃるだろうが、先ずは評価して良い発言だと思う。

 震災復旧予算それ自体が財源問題に逢着しているように、全てのことがらは帰するところ財政赤字をどうする、というに尽きるようだ。流石にインフレでチャラにすればよい、などと威勢のよいことをいう人は少なくなったが、赤字恐るるに足らず、気にしない気にしない式の論客は、手を替え品を替えてあちこちに存在している。確かに単年度財政赤字はGDP比二桁を超えるアイルランドやギリシャ、スペインに較べれば6%に過ぎないと論じる人もいる。諸外国のように借金先が外国ではないというのも悪いニュースではないだろう。しかし、累積赤字が一年のGDPに匹敵するというのは今更いうまでもなく軽視すべきことではない。頑強に大きな政府に拘泥していたかに見えるオバマ大統領でさえ、富裕層への課税強化を引き換えに共和党の小さな政府路線との妥協を図った。わが国の民主党がばらまきマニフェストを引っ込めるどころの話ではない筈だ。

 議員定数や公務員給与削減はシンボリックな意味しかないという人もいるが、先ずそこに手を付けなければ施策の真剣味が伝わらない、という意味では優先度が高いというべきだろう。ところが、それが現在微温的な対応に堕しているかは衆目の認めるところだ。いづれは消費税を核とした増税が必至なことはおそらく国民の大多数が理解している。ただ同時に、削減予算の多寡は別にして、天下り天国、税金の無駄遣い、さらには構造的腐敗ともいうべき既得権益に徹底的にメスを入れるのが先だろう、というのも理の当然だ。これをカッコ付きの「庶民感情」だと蔑視するのはいかにも不当だというべきだろう。あの事業仕分けで槍玉に挙がった事案の全てが全て合理的であった訳ではない。それは例の津波津波対策ひとつをとっても明らかだが、だからかといって、事業仕分けそのものをコケにしたような焼け太りが許されてよいというものでもない。まして、外郭団体の想像を絶する腐敗ぶりは、公務員の廉直なイメージが虚構であったことを余すところなく摘出している。

 などというと、「オトナの議論」として、水清ければのたとえとか、摘発される小悪の財政的意義の小ささを抗弁する御用学者が存在するのもまた事実だ。改めていうまでもなく、位置エネルギーは途方もなく強い(10.1.25「位置エネルギー」)。しかし、それを打破するところにしか民主党政権起死回生の再生、存続の途はないように思う。
タグ:
  • 財政再建
  • 民主党政権
  • オバマ政権
みんなの【財政再建】をまとめ読み
Tweet
▲ by akirairiyama | 2011-04-20 22:39
2011年 04月 18日

仮設住宅

 快適さは愚か、最低限のプライバシーさえ保証されない空間で永い人は1ヶ月以上を過ごしていることになる。暫定的な住居提供、あるいは仮設住宅の新設が急がれることは誰の目にも明らかだろう。ところが、4月16日までに完成する仮設住宅は276戸に過ぎないという驚くべき報道(4.16朝日新聞夕刊1面)に唖然とした。立地の問題もあろうし、ユーティリティの整備、建設資材調達など幾つもの問題があるのは理解できる。しかし親身に被災者の状態をなんとかしようと思ったら、現在只今の建設戸数が300戸に満たない、というのはいくら何でもひどくはないか。

 また、神戸震災の際の高齢者の孤独死という教訓にならって、仮設住宅や公営住宅への入居をグループ単位でなければ受け付けないことにした結果、371戸の募集に対して応募が35戸に留まっているという。杓子定規のお役所流とはいうまい。それにしてももう少しやりようはあるのではないか。どちらの話も、お役所仕事のアラ探しをしているのではない。お役所に委せておけば、いかに担当者が善意に満ちていようとも、こんなことが発生するのは予め予想は出来る。それに即応して、対策を指示するというのが政治家の仕事ではないか、と指摘したいのだ。

 一見些細で些末な現象をあげつらっているように聞こえるかもしれない。しかし、事態の展開に応じて的確に対処する、というのは、やたらナントカ会議を沢山作って5年後、10年後の日本のビジョンを描く以外に、こうした具体的な指示や対策を講じる、ということでもあるべきだ。ここでは数多い問題のなかから、住まいの問題一つだけを取り上げている。それでもこれ以外に、これまでの居住空間から遠く離れた住まいが提供されても、雇用、収入面での見通しが全く立っていない、とか、仮住まいの期間がどれほど保証されるのかが全くはっきりしない、といった、考えるまでもなく当事者にとっては「冗談じゃない」ような、最低条件さえ満たしていない話が沢山ある。

 「善処します」「全力を挙げて取り組みます」というだけで、具体策が何ら明らかにされない、と外国メディアは日本の原発事故対応に皮肉たっぷりだった。ことは原発だけではないのは明白だろう。スローガンや美辞麗句が必要とされる時もある。しかし、災害対策というのは、生身の人間の現在の苦痛や苦悩と向き合っている仕事でもある、ということを政治は忘れていないか。こんな自明ともいうべきことに気づいている政治家が一人もいない筈はないのだが。

追記;と書いてTVの参議院国会中継をみたら、自民党がやれ菅総理のあの発言はどうの、ナントカ会議の構成員はどうの、と、はては昔々のカイワレ騒動時の菅大臣発言までこねくりまわしている。この非常時に何をどうするかが全くお留守。自民党がこれでは、民主党のていたらくを嗤うわけにもゆかない。とは哀しいものがある。
タグ:
  • 仮設住宅
  • 政治家
  • 具体策の欠如
みんなの【仮設住宅】をまとめ読み
Tweet
▲ by akirairiyama | 2011-04-18 08:47
2011年 04月 16日

ラ・バヤデール

 東京バレー団の「ラ・バヤデール(神殿に仕える踊り子)」公演に行ってきた。騎士ソロルを踊る筈だったドイツ人が、ドイツ政府の渡航自粛で来られなくなり、その代役が足を傷めるという障害の連続だったが、急遽オランダからゴールディングを迎えてやっと挙行。そのうえダブルキャストを組んでいたガムザッテイ役の一人がやはり急病で、田中結子が連投になる。やりくりでやっと開演にこぎ着けた筈が、開演時刻になってもなかなか始まらない。十分くらい過ぎたところで舞台袖に主催者が現れ、指揮者がまだ来ていないので、コンサートマスターが代役を務めるとアナウンス。さては指揮者も逃げたか、と客席で囁きがもれていると、再度主催者登場。「指揮者が到着しました」というので満場の拍手。

 震災、というより原発の余波で紆余曲折があったが、舞台そのものは全くそんな影響を感じさせなかった。振り付けはマカロワ版ということだったが、これが見事の一言。特に二幕の冒頭、バヤデールの亡霊たちが出現する場面の美しさは、全てのバレー舞台のなかでも出色の出来というべきだろう。最近流行のいかがかと思われるいオペラの前衛的な演出と異なり、比較にならないくらい多くの約束事の中にありながら、これほど見事な新機軸が打ち出せる、というのはバレーの素晴らしさだろう。ニキヤ役の上野水香、ピンチヒッターのゴールディング、それに田中結子を始め、脇役、群舞いづれも素晴らしい出来だった。何よりも、これほどのバレー団が佐々木忠治氏を中心とした一民間団体に依って組織されているという事実には驚嘆の他はない、国立劇場にぶら下がっている官僚OBや御用評論家たちは爪のあかでも煎じるとよいように思う。(ちなみにこのテーマで佐々木氏には「怒っている人集まれ」(新書館)という刺激的なタイトルの著書がある。一読をお勧めする。)その佐々木さんの健康が優れないと聞く。一日も早い本復を祈りたい。

 いつかも書いた(11.1.24「ベルリン・バレー」)が、佐々木さんの組織(NBS)主催公演の会場は会場スタッフの躾けが実によくて心地よい。NHK主催公演の喧噪に較べればほとんど天国と地獄の差があるといって良い。
タグ:
  • 東京バレー団
  • 佐々木忠治
  • NBS
みんなの【東京バレー団】をまとめ読み
Tweet
▲ by akirairiyama | 2011-04-16 22:20
2011年 04月 14日

レベル7

 今回の原発被害はレベル7でチェルノブイリ級だという。これまでに報道されていた事故報道からすると随分唐突な内容だという感が深い。専門家が寄り集まって審議なさっているのだからそれなりの理由があってのことだろうが、情報を小出しにして、しかも被害や危険度を可能な限り楽観的に開示しているように見えて仕方がない。早い話が、過熱による水素爆発で原子炉内の放射性物質が空中に飛散し、それによって(気候条件等によって変動することはあるものの)これこれの範囲にこれこれの程度の放射能汚染が発生する、というような発表は聞いたことがない。従って、その汚染がいつまで続くのか、逆に言えば安心できるような状態になるのはいつ頃なのか、といった情報も皆無だ。いらざる不安をかき立てる情報は提供したくない、ということだとすれば、随分被害者を愚弄した話だと思う。

 起こってしまったものは仕方がない。専門家が事態収拾に当たっているから心配せずに委せておけばよい。よくよく危険度が高かったり、周知せねばならぬ情報があるようなら発表するから、それまではいらざる詮索は無用だ、と言わんばかりの対応ではないか。そうだとすれば、まさに知らしむべからず、依らしむべしの典型例だと言われても仕方あるまい。それも、この種情報というのは別に特殊で一般市民の理解を超えるものでも何でもない。一例を挙げれば、五年ほど前に出版され、今回の事故で急ぎ復刻出版された古長谷稔著「放射能で首都圏消滅」(三五館)は、浜岡原発の危険性を中心に、ややセンセーショナルに取り上げた書籍だが、その主張の当否は別にして、水素爆発による放射性物質の拡散や、原子炉周辺の輻輳した配管の危険性などについて極めて明快に指摘している。

 後知恵で「そんなことも解らなかったのか」と言っているのではなく、予見され、かつ周知の事実であったことについてさえ的確な対応をしていない、ということになると、潜在的な意図を疑われても仕方がない、ということだ。東京都民が乳児に水道水を飲ませられなかったり、平和に暮らしていた人々が予告なしに、あるいは一ヶ月の予告期間で生業補償さえない環境に放り込まれたり、生産物を廃棄処分せざるを得ず、ために無収入になる一次産業従事者が多発する、というのは異常事態だ。その終熄を急がねばならぬのはいうまでもないが、なぜそんなことになり、いつ頃までそれが続くのかを(判明している限り)的確に示す、というのは政治が最低限行わねばならぬことだろう。

 そんな最中にまた闇将軍のお出ましだ。菅政権打倒だとおっしゃる。ずれているのもここまで来るとほとんど犯罪的ではないか。早々に引退して頂きたいものだ。
タグ:
  • 放射能汚染
  • レベル7
  • 小沢一郎
みんなの【放射能汚染】をまとめ読み
Tweet
▲ by akirairiyama | 2011-04-14 09:52
2011年 04月 11日

将の器

 有能な小隊長が必ずしも大隊長、あるいは連隊長として有能であるとは限らないと聞いた。自ずから器というものがある、ということのようだ。三度目の災害現地視察に訪れて、喜々として「頑張ろう」と拳を突き上げている首相の姿を拝見して、失礼ながらそんな思いに捕われた。日本という国では、自衛隊でさえ適任でない将校の下にあっても命に関わる、ということはないようだが、現実の戦闘行為にあってはこれが即、生死をかけた大問題になる、しかも部下たるもの、将校であるか下士官・兵であるかを問わず、上官の任命には与れないというのだから、これは運命と諦める他はない。

 それに比べれば民主主義下の首相、というのは多少間接的にではあるが、その選出について自分も一半の責任がないではない。それだけによけいやりきれない、と言えなくもないかもしれないが、そんな感想を持とうが持つまいが危機的状況の方は待ってはくれない。15万人の人々がプライバシーのない生活を余儀なくされて1ヶ月になる。必要な仮設住宅が仮に数万戸であるとして、それがいつ頃なら可能なのか。それが早急には無理ならば、その間はどうするのか。提供された旅館・公営住宅の存在さえ周知されていないというのはどうしてか。就労場所から離れた居住地の場合、収入稼得はどうするのか。こうした喫緊とも言うべき課題に対して、何らかの方向性さえ示されたという話を聞かない。

 とはいえ、戦が始まっているのに、あれは連隊長の器ではない、せいぜい小隊長どまりだなどとあげつらっている時ではなかろう。放射能漏れは何が何でも食い止めねばならないし、第一次産業にとっての被害は、二次・三次産業の雇用機会にも増して対策を急ぐ。9.11に際してあれほど犬猿の仲だった共和・民主両党が手を携えたのを想起する。今回の連邦予算凍結寸前の回避とは速度感がまるで違った。米国に出来たことが日本で出来ない訳がないだろう。こちらの方はロボットと違って、予算が削られたからテの施しようがない、というのとは違う。

 何も官のなさりようを待っているだけでもあるまい。数千億と言われる義捐金も、小出しにバラまくだけが出捐者の意向に沿うとも限らないではないか。
タグ:
  • 将の器
  • 菅首相
  • 緊急事態
みんなの【将の器】をまとめ読み
Tweet
▲ by akirairiyama | 2011-04-11 15:22
2011年 04月 09日

ヴェニスのカーニヴァル

 東京の桜も満開を迎え、例によって無情の雨を嘆く日曜日とはなったようだ。歌舞音曲自粛とかで、いまひとつお花見は盛り上がらなかったようだが、落花狼藉の大騒ぎがない分だけ、心静かに花を愛でることは出来たかもしれない。ただし、自粛自粛でさらでだに好調とは申しかねる消費景気が落ち込むようだと「合成の誤謬」ともなりかねない。兼ね合いの難しいところかな。

 だからという訳でもないが、先のシチリア旅行で最後に立ち寄ったヴェニスの印象記等を書き留めておくことにする。もともとはオペラ旅行のこと故、火災から復興なったフェニーチェ歌劇場でのラ・ボエーム鑑賞が主眼だったのだが、折しも音に名高いヴェニスのカーニヴァルの時期と重なったので、思わず楽しい経験もできたことだった。

 フェニーチェは世界で最も美しい劇場の一つだろう。見事に復興されていた。経済不調だの、EUの問題児扱いされることも多いイタリアだが、その底力を垣間みた思いはある。何度訪れても不可思議な魅力の虜になるヴェニスと言う街もさることながら、オペラという芸術がしっかり風土に根ざしているという感覚を改めて感じたことだった。ボエームの方は、ミュージカル仕立てとも言うべきモダンな舞台構成と演出で目を奪った。悪趣味寸前の趣向(二幕のムゼッタは、ワルツを歌いながらなんとストリップまがいで下着一枚になる。)なのだが、踏みとどまってそれなりに楽しく見せたのは立派。最近流行の妙に理屈っぽい新演出とはひと味違う、といってよいのかもしれない。かといって、この傾向に歯止めが利かなくなることを想像すると少しコワイ感じはするが。

 カーニヴァルの方は、これは掛け値なしに圧巻だった。復活祭の前は四十日間の禁欲的な期間。その前夜祭は思い切って大騒ぎをしよう、と、考えることは世界中似た様なものなのだが、中でもヴェニスのそれは音に聞くだけのことはあった。あのサンマルコ広場が、とにかく雑踏で歩くのもままならない。その大群衆の半分近くが何らかの仮装をまとっている。それこそひと財産はたいたのではないかと思われるほどの中世風の衣装から、お手軽のそこいらの屋台で買い込んだ例のヴェニス風のマスクをひっかけたのまで、千差万別だが、思い思いにこの季節を楽しんでいる。この期間イタリアのあちこちで、日本の七五三のように、子供にクラシックな服装をさせている光景が目立ったが、ヴェニスはその集大成とも言うべき趣である。一行の中に日本から侍衣装を持参したメンバーがいたのだが、これに写真を撮りたいというリクエストが殺到して、ご本人曰く、一生でこれほどモテたことはないと。
タグ:
  • ヴェニス
  • フェニーチェ歌劇場
  • カーニヴァル
みんなの【ヴェニス】をまとめ読み
Tweet
▲ by akirairiyama | 2011-04-09 09:52
2011年 04月 07日

蟷螂の斧

 震災の事後処理を巡っては、閣僚からさまざまな発言が飛び出している。最近の発言からいくつかを拾って、その評価を試みてみよう。(ちなみにカッコ内は筆者の蛇足である。)

 経済産業大臣が漁業被害に対して、被害額確定前に取りあえず緊急の補償をすることを東電に命じた。(別にクニが財源を手当てする訳ではなく、それは東電持ち。)
評価 1 さすが海江田さん。機敏にお役所仕事の穴を埋める応用動作が鮮や  
    かだ。
   2 こういうのを「人の褌で相撲を取る」というのでは。
   3 全く常人の思いつかない視点からの発言で敬服に値する。

 国土交通大臣が仮設住宅について、建設資材不足によって住宅建設に支障が出るというようなことは聞きたくない、と発言した。(だからといって、別に資材不足解消の具体策を提示した訳ではない。)
評価 1 痒いところに手が届く「思いやり」で、庶民の心をとらえる。
   2 現下の重要な問題が何かを的確に把握している。さすがだ。
   3 格好を付けるリップサービスの典型ともいうべき発言。

 さて読者は三択のどれを選ばれただろうか。政治家の機能が「庶民感情」を国民に成り代わって発言することだ、と誤解しているとしか思われない発言のほんの数例だ。国民は自らの水準以上の政治家を持つことは出来ない、といわれる。自らの信条に自信がないから、意見を述べるときに必ず「ある意味では」と付け加えないと気が済まない政治家(10.6.6「菅総理誕生」)と共に、われわれの政治的水準を目の当たりにするのは必ずしも心地よいものではない。ただし、ここでは一般論をしているのではなく、緊急事態、つまり事態解決に時間的余裕がないまったなしの状況における政治家の資質を問題にしている。

 既にそこに存在している意志決定権を持った人々。国民はそれを受け入れるしかない。次の選挙でノーというまで待っている訳にはゆかないのだ。本来最も鋭い批判者で、国民の声の代弁者であるべきメディアがこんな情けない状況にある(3.22「大震災(4)」)とすれば、代議士の選挙区後援会、地域のNPO活動、ネット等のミニコミ、所属するグループの集まり、あらゆるチャンネルを通じで声を挙げるしかあるまい。民主主義の危機などと大げさなことを言っているのではない。義援金を赤十字に託してわがことなれり、としているだけではないと言っている。このブログもその一つかな、なんて。
タグ:
  • 非常時
  • 政治家
  • 国民の声
みんなの【非常時】をまとめ読み
Tweet
▲ by akirairiyama | 2011-04-07 23:21
2011年 04月 05日

こんな時の政治(2)

 菅首相を降ろすの降ろさないのという話を大まじめでしている人がまだ存在する。TPOを弁えろ、という言い方がこれほどぴったりするケースはないだろう。先ず第一に、この難局をリーダー一人で切り盛りできる人なんぞいる訳がない。菅だろうが谷垣だろうが、石破、仙谷、個体差はゼロだ。そんな生易しい事態ではない。権力の座にある人、近い人、近づきたがっている人、力を合わせる知恵こそが求められている。真の解決策について知恵がないからといって、近場のあさってのターゲットに一生懸命になることでとりあえず仕事をしたつもりになる、なんていうのは沙汰の限りというべきだろう。

 政治は万能だ。それを心得た上で第二に、その途方もない力をいかに自己抑制するかが問われている。一番簡単な抑制というのは、限られた時間の中では何でも出来る訳ではない、という当たり前のことを認識することだ。今すぐせねばならぬこと、一ヶ月以内、半年以内。その仕分けが出来て始めて政治家だ。それが出来ないと、「前向きの姿勢で検討します」みたいな官僚答弁をする政治家が出てくるはめになる。首相が頼りなく見えたり、経産大臣が間抜けて映ったりするのは知識の不足(それもあるが)よりはこの見極めが出来ていないことに起因する方が遥かに多い。

 同時に政治家に求められるのは、専門バカに対して常識の求めるところを遠慮なく要求する機能だ。バケツがいっぱいになれば溢れる、というのも、限られた個数のバケツの容量には限界がある、というのも、原子物理学や高等数学の助けを借りなくても自明のことだ。それでどうしようもないから垂れ流します、というのを苦渋の決断とはいわない。下請け現場作業員に乾パンだけで仕事をさせるのはおかしいとか、自己犠牲に基づく不眠不休は数日が限度だとかいうのも、ほとんど常識に属する。現場主義をいうのなら、その常識が常識として通用していなければ通用させるのが役目だろうし、そんなことに気づくのこそが政治家だろう。

 記者会見や国会出席に作業服(あれはそういうのかな)で臨むのは、なにも呼び出しがかかることを想定して、着替えの分秒を惜しんだのではなく、見た目の姿勢、気構えやポーズが主眼だろう。それがメディアに映って、外国視聴者に日本はそこまで危ないのか、と思われたからにわかに着替えた、というお笑いは政治家にとって、有権者の視線のプライオリティがどれくらいのものかを象徴的に示す出来事だった。一人の例外もなく同一パターンで行動した、というのもコワイが、これまで指摘した数点についても、そろいも揃って同じ対応だというのは、これは面白いというべきか、情けないというべきか。
タグ:
  • 菅退陣
  • 海江田経産大臣
  • 専門バカ
みんなの【菅退陣】をまとめ読み
Tweet
▲ by akirairiyama | 2011-04-05 22:24
12次へ >>>

ファン申請

※ メッセージを入力してください